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交換レンズ一筋30年、ニコンのNIKKOR開発設計者が到達したレンズとは?

岡田清孝(Kiyotaka Okada)
2016年10月14日, 午前06:30 in Designer
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1959年、カメラマニアなら知らない人はいない(はず!)伝説の一眼レフ『ニコンF』と同時に登場した『NIKKOR-S Auto 5cm f/2』。それから数え今年6月についに生産本数1億本を突破した『NIKKOR』レンズ(Fマウントと1マウントの累計)。その伝統あるNIKKORレンズを現在開発設計している主幹研究員の佐藤治夫氏に、レンズ造りの面白さを教えてもらった。


▲ニコン本社に併設される"ニコンミュージアム"に、『ニコンF』とともに展示されている『NIKKOR-S Auto 5cm f/2』。注)この展示されているレンズそのものが一番最初に生産された、わけではありません。

ちなみに『NIKKOR』という名前は1932年に商標登録され、翌1933年に販売された航空写真用レンズ『Aero-Nikkor』が初めてのNIKKORレンズだという。その後大判カメラ用やレンジファインダー機用、現在に至ってはコンパクトデジカメにもNIKKORレンズは搭載されているが、それらは1億本には数えられていない(あくまでもFマウントと1マウントのみ)。だったら『NIKKOR』という名前のレンズ総数はいったい何本だ?。おそらく莫大な本数になるだろうが......それはさておき。



佐藤氏の入社は1985年(当時の社名は日本光学工業株式会社)。一眼レフのピント合わせがマニュアルからAF(オートフォーカス)へと大きく変化した時代だったはず。

佐藤治夫氏「交換レンズは純粋に理想を求めて設計すると、ピント合わせのために内部のレンズをあちこち動かしたくなります。しかしAFはモーターでレンズを動かさなければならないので、重さや大きさの制限を受け、それまでの設計ノウハウがリセットされました。しかし技術とは面白いもので、設計者に負荷が与えられることで鍛えられスキルアップとなり、AFに向く新しい光学レンズタイプが発明されていきました」

入社したてでそんな状況は、さぞかし大変だったのでは?

「AFシステムが本格的にカメラに導入される直前で、あれもこれも新技術ばかり。毎日目をキラキラさせてました」

と、楽しそうに語った。その表情をみてふと興味がわき、なぜ佐藤氏はレンズの開発設計を志すようなったのかを訊ねてみた。

「もともとレンズの開発設計がやりたくてニコンに入れてもらいました。中学生の頃からの夢でした」

中学生でレンズ設計とはかなり早い。

「中学1年生のとき父親にカメラが欲しいとお願いしたら、1年間カメラとレンズの勉強をしたら買ってやると言われました。それから専門書を読んだり毎週カメラ店に通い店員さんに教えてもらったりして、カメラの構造やレンズの収差などを勉強しました」

その甲斐があり当時のフラッグシップ『ニコンF2』と『Ai Nikkor 50mm f/1.4S』、そして『Zoom-Nikkor Auto 43-86mm F3.5』というズームレンズを買ってもらう。

「この『ZoomNikkor43~86mmF3.5』が私をレンズの道に導いてくれました。このレンズは収差が多く、撮ってみると画像の一部が溶けていたりお寺の柱が曲がってたりする。調べていくと像面湾曲や非点収差、ディストーションなどが原因で、カメラのレンズが1枚だけじゃなく、こんなに枚数が必要な理由がわかってきました。それで自分でも作ってみたいと思うようになりました」

それから高校や大学もニコンに入るための勉強ができる学校を選び、やがて実際に入社してしまう。子供の頃からの夢を貫き通し実現する意思の強さには感服する。


▲1963年に発売された国産初の標準ズーム『Nikkor43-86mmF3.5』。このレンズがきっかけで佐藤氏はレンズ開発設計の道に進むことになる。

入社後一貫してレンズの開発設計をしてきた佐藤氏。そのあいだ、フィルムからデジタルさらには高画素化などを経てきたが、レンズ設計には変化があったのだろうか。

「デジタル化の時には色収差のバランスやローパスフィルターを加味した設計をしたり、さらにフィルムと違って撮像素子は光が入ってくる方向が限られているので、レンズの射出瞳(光の出口)を最適な位置に持っていく工夫が必要でした。また最近の高解像度に対応するために、シャープネスや収差の改良は常に行われてます」

さまざまな進化があるなか、現時点で佐藤氏が考える"理想のレンズ"とは?

「今は、"三次元的ハイファイ"というものを提唱しています。それはピントの合っている部分があり、いきなり背景がボケるのではなく、その間が連続的にボケていくことで奥行あり立体感が表現されます。一枚の写真に写る像すべてが心地いい描写はどのようなものか?学生の頃からずっと考えていましたが、この頃になってようやく答えが見えてきました」


▲"三次元的ハイファイ"の思想で設計された『AF-S NIKKOR 58mm f/1.4G』と『AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E ED』。どちらも20万円前後と高価だが、巷での評判はすこぶるいい。いつか使ってみたいものだ。

では三次元的ハイファイをもって、佐藤氏の理想のレンズは完成したのだろうか。

「三次元的ハイファイは、あくまでもひとつの答えにすぎません。我々の使命はお客様が欲しいレンズラインナップを造ること、例えばマイクロニッコールのようにピント部分がものすごく鮮鋭なレンズも使い道はあるし、光学100倍を超えるズーム比や大口径化など、まだまだやりたい仕事はたくさんあります。むしろどんなレンズが欲しいのか皆さんの御意見をお聞きかせください」

レンズ設計の道はまだまだ長いようだ。さらに目指す若い世代へのアドバイスを訊いてみた。

「我々はお客様の為に仕事しなければならない立場ですから、お客様が喜んでもらえるのが自分の喜びでもある、という気持ちを持っている人に入って来て欲しいですね。もしくは学生時代の友達に「良い!」と言わせたくて設計したとか、知り合いの写真家にために作ってみたとかとかでもいいです。そういう目的がないとキツイかな~レンズ設計ってやること沢山あるので......」

好きでないとできないお仕事。最後にレンズ設計の仕事をして楽しかったことを教えてもらった。

「自分で設計したレンズで写真を撮れる。これが一番幸せなことです。社内でも自分が欲しいから、このレンズを設計したんじゃないのと、言われます(笑)」


▲1960年代の『NIKKOR』レンズに影響を受け、最新『NIKKOR』レンズの開発設計に携わった佐藤氏。同じように佐藤氏の設計した『NIKKOR』レンズに影響を受け、新に『NIKKOR』レンズの開発設計をしている人も多いはず。そうやってずっと伝統が受け継がれていって欲しいと、『NIKKOR』ファンの一人として願います。

佐藤氏の思い出深い『NIKKOR』レンズ

NIKKOR-O 2.1cm F4

▲ミラーアップして装着し外部ファインダーを覗いて撮影する変わり種。佐藤氏は「ノーファインダーで撮ったりなど、キッチリした構図でなくても、いい写真が撮れると気づかせてくれたレンズです」と語る。

『NIKKOR 15mm F5.6』

▲当時現実的に入手できる価格では、もっとも広角のレンズだった。ゴーストの出方が特徴的で、佐藤氏も光学設計の勉強になったという。

※2016年10月17日13時 一部固有名詞を修正しました

関連キーワード: designer, digital camera, interview, lens, nikon
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