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働いてみるまで、Microsoftという会社が嫌いだった : 情熱のミーム 清水亮

Love and team

Shi3z , @shi3z
2017年3月23日, 午前11:00 in microsoft
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今年も卒業式の季節がやってきた。

筆者は個人的には卒業した経験があまりない。
最後に卒業式に出たのは高校までで、その後大学も大学院も行っては見たが残念ながら卒業まではいることができなかった。

その一方で、筆者はいろいろな組織を卒業させてきた。
たとえば子会社を作り、三年後、単独で利益が出せる状態まで持っていってからベンチャーキャピタルに売却したり、MBOさせたりといった形だったり、あるときは東京大学にあった研究室をまるごと引き継ぎ、三年後、それをそのような研究機関をまさに欲していた大企業に移管させるという形で卒業させた。


ハンズオンのベンチャー投資家としての筆者のROI(Return on Investment)は平均約3年で300%であり、これはなかなかの好成績である。


そのかわり筆者は滅多に投資しない。当たり前だ。自分の会社があるからだ。
自分の会社をさておいて他の会社に投資するというのは本末転倒である。
投資する場合は、自分の会社とのシナジーが期待できる場合だけだ。


さて、組織というのはとかく合従連衡を繰り返すものである。誰でも永遠に生きられるわけではないのと同様、ある組織が永遠にそのままということはまずありえない。


さて、組織とはなにであるか。第一にそれは人である。
人の集まりが組織になる。


では人こそが組織の組織らしさを決定するのだろうか。
否、たとえば筆者が自分の会社を離れたとしても、会社は会社という組織として残り続ける。


しかし組織を成立させているのは厳密には人そのものではない。人の意識である。


「自分はこの組織に属している」という意識だけが、組織を組織たらしめる根源的な原理であり、その意識を持つ者が一人もいなくなったとき、組織は組織ではなくなる。


会社を作ってしばらくすると、人が増えてくる。人が増えると、会社の方針や考えかたの基本を伝える方法がどんどん難しくなってくる。人が少ないうちは直接膝を突き合わせて話をすればいいが、人が多くなると難しくなり、クレドや全社集会といったものによって組織の意識を統一する必要が出てくる。


そして組織の意識を統一する原動力はなにかといえば、それは愛であると思う。


会社への愛情、忠誠心、誇りといったものは、創業者一人ではなく、社員全員の気持ちが総合されたものだ。もっと言えば、去っていった元社員、アルバイトの気持ちを含めて、それら全てが統合されたものがそれなのである。


そして会社を離れた元社員たちも、会社への愛情を失っていない限り、彼らもまた組織の影響を受けている。


筆者が初めて本格的に働いた会社はMicrosoftだった。ただし正社員ではなく、外部のコンサルタントとしてHQ(Micrsoftでは本社をそう呼ぶ)と契約する形だったので、厳密にはその組織に属していたと言えるかはあやしい。


しかし筆者の考えかたは未だに徹底的にMicrosoft流である。最初に働いた会社だというのもそうだし、自分の知る最も偉大な会社でもあるからだ。


それはMicrosoftを離れた今もそうだし、その後に働いたドワンゴという会社も、やはりMicrosoft時代からのルールを多く流用した。


筆者は働いてみるまでMicrosoftという会社が嫌いだった。しかししばらく働いて、中の人々と交流するうちに、Microsoftという会社を心から愛するようになった。スティーブ・バルマーのスピーチで「I love my company yeah!」という有名なくだりがあるが、まさしくそのような気持ちだった。Microsoftの仕事に関われることが誇りだったし、愛していた。たとえ正社員でなくても。正社員でない働き方のほうが、結局は好きにできた。そして効果的な仕事を成し遂げたと思っている。


その次に働いたドワンゴという会社もまた、筆者は心から愛している。最終的には自分から辞めることになったが、それは決して会社が嫌いになったわけではなかった。自分には他にやってみたいことがあったのだ。外の世界を見てみたかった。


そして自分で作ったUEIという会社をまた、筆者は心から深く愛している。
この会社に関わった過去から現在の取引先、この会社で働いた全ての元社員と元アルバイトを心から愛している。

UEIはMicrosoftのミームと、ドワンゴのミームから生まれた。僕の心のなかに、愛すべき新しい生命として造られた。だからUEIのルールの多くの部分はMicrosoft的だったりドワンゴ的だったりする。そしてもちろん、UEIにしかないルールもある。これを成立させているのは、やはりUEIという組織に対する愛情である。「こうであってほしい」という愛情の気持ちが、組織をつくる。それは創業者一人ではなく、関わる人全ての人の気持ちがその組織を作っていくことになる。


さて、愛という言葉は日本語ではかなり誤解を生みやすい言葉のようだ。
もちろんもとの意味は英語のloveであり、日本にはloveという概念がなかったので輸入するときに随分苦労したらしい。

日本語では「愛している」という言葉が恋人に限定して使われるという誤解があるが、英語ではモノに対しても家族に対しても、時には友人に対しても使うことがある。


loveはもともとキリスト教的な愛の世界観であり、キリスト教では愛は神の本質である無償の愛(アガペー)と、家族愛(ストルゲ)と、隣人愛または友愛(フィリア)と、性愛(エロス)がある。


日本では愛してるという言葉は主に性愛を意味するが、英語では家族愛も友愛もloveである。


会社という組織に対する愛は、友愛や家族愛に近い。
神の本質が愛であるとするキリスト教は非常に分かりやすい。分かりやすいが故に強力で、だからこそこれだけの隆盛を誇っている。


組織が分裂したり合流したりする度に、組織のミームが交配される。
新しい組織に流れ込んだミームは、新しい環境へ適応するため、新たに別のミームとの合流がごく自然に行われる。そのミームは、会社名や組織名、役職名、構成員、昇給基準といった情報となって表出する。ミームの動きは常に可視化できないため、我々はミームが動き出した結果うまれた情報を観察するしか組織のミームがどのように変化したか理解する方法がない。


ミームは物理的に存在できず、人の心の中にのみ存在する。
そして組織のミームが依り代とするのは何かと考えると、それはやはり、愛なのだろう。


酒を飲んで会社の愚痴を言ってもぜんぜん会社を辞めない人がいる。要するにその人はその会社が好きでたまらないのだ。会社の愚痴はのろけ話だ。本当に嫌ならとっくに辞めてるはずだ。


新しい組織が生まれるとき、いつもワクワクした高揚感がある。
それは新しい子供がうまれるのと同じように、既存のミームが新しい組織に入り込み、変化し、新しいミームへと成長を遂げる瞬間だからかもしれない。

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