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記事広告のタイトルに【PR】表記するかしないか論争:ネットウォッチャー炎上日記

プロのネットウォッチャーによる新連載。初回のテーマは…

おおつね まさふみ , @otsune
2017年7月11日, 午後09:00 in Internet
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【著者紹介】おおつね まさふみ:システム管理者、ネットウォッチャー。インターネット黎明期より定点観測を続ける。どんな小さな火種も見逃さない敵に回したくない人物だが、本体は熊のぬいぐるみのような癒し系。写真は今回のネタになっているイベントの風景。左から、やまもといちろう氏、三上洋氏、著者おおつね氏、清水亮氏、よっぴー氏(実はEngadget 日本版 編集長も飛び入りで登壇した)。

2017年7月6日、筆者はやまもといちろう氏のオンラインサロンが主催するトークイベント「記事広告【PR表記】のあり方について、清水さん、ヨッピーさんと改めて考えてみる」にパネリストとして登壇してきました。

現在、メディアには純広告と記事の中間の存在と言える「記事広告」という形式の読み物が存在します。記事広告は企業や官公庁などクライアントが広告費を支払い、おもにライターが執筆します。大まかにはクライアントの売りたいモノや宣伝したいモノをアピールする内容を、通常の雑誌記事のような形式にまとめたものです。決まりとして、読者が判別できるようにページの隅に【広告】【AD】【PR】などの表記をすることになっていたり、本文の段組やフォントを変えるなどの変化をつけています。



2016年の暮れのことです。人気ライターヨッピー氏が執筆した記事広告に関して、「なぜ記事タイトルにPRなどの表記が無いのだろう?」......という疑問が、ある著名ブロガーから提示されました(その記事広告は観光案内に関するもので、読んで面白いと思ったので、特に内容が悪かったと文句を言いたかったわけではない)。

それに答えた、とあるメディア経営者の返事は「タイトルに記事広告とわかるようにPRと明記すると、確実に閲覧数が下がるので入れたく無い」「雑誌でもページを開いた本文わきや隅にPRと表記があればいいからネットもそれでいいじゃない」というものでした。

その後、私を含む読者側の意見として、「それは騙してでもPV(ページビュー)を上げたいという広告側の都合では」「雑誌と違ってネットは通信費を読者が月課金で負担していて、スマホの通信制限を気にして『ギガが減る』と文句を言っている現状が有るから受け入れがたいのでは」と反論がありました。

この議論や、冒頭に話題に出したトークイベントでも、この手の議論の着地点はあまり定まらない状態でフワッと宙ぶらりんになります。

なんとなく読者をうっすら騙して、記事広告なのか通常の記事なのか曖昧な状態で読んでほしい

メディアを運営したり、手間の掛かった記事を作るには費用が必要で、それをまかなうには現状では広告費を出してもらうことになる。そして広告主は、お金を出した以上は、商売が促進されたりブランドイメージが向上する記事広告を期待する。

読者はとりあえず通常の記事なのか記事広告なのか判別しにくい状態で、一旦クリックしてPVを増やし、貴重な「ギガ」を減らす(ヨッピー氏に限って言うと、彼は記事広告の内容の評判に自信があるのと、読者からの要望が多かったことで、タイトルにPRと明記する方針に変えたそうです)。

筆者の考える心理では「読者を騙す」というのは、リンクタイトルやサムネイル画像から想定した内容と、リンク先の記事内容が食い違うことだと定義しています。ネットには酷いときは釣り炎上狙いのタイトルというのもありますし、純粋なファンのレビューと見せかけた広告主の商品しかプッシュしていない提灯記事も多々あります。

今までのネットにおけるそういう読者経験の積み重ねによって「広告、AD、PR」という文言がある意味で汚染されている状態だともいえます。タイトルにPRと入れたくないメディア経営者側も、ここまで印象の悪くなった言葉を、過去の同業者の責任まで引き受けて使いたくないという本音はあるでしょう。

また、一部のメディアでは記事広告を示す表現として「特集」や「Special」を使っているところもあります。これは単語の意味として直感的に記事広告だと想像できる読者はほぼ皆無の、ある種ズルいやり方でしょう。



メディア側には「面白い内容の記事を読ませるには、こうするのがいいんだよ。記事を作るにはどうしてもコストが掛かるんだし」「仮にうっすら読者全体を騙しててもいいじゃない。楽しい体験をさせれば文句ないでしょ」というような発想が有るのでは、と筆者は想像します。

そのことについては理解できるし、後は程度の問題ではあるよなぁ......とも思います(ステルスマーケティング騒動の時のように完全に広告であることを隠蔽するのは論外ですが)。

しかし、業界の自主的な引き締めは構造的に期待することは難しいとも思います。たとえばテレビ番組「ほこ×たて」において、ラジコンヘリと銃の対決にてヤラセが出演者から指摘されて打ち切りの一因となったり、「電波少年」においてヒッチハイク企画の途中で紛争地域を飛行機でバイパスしたことが指摘されたりと、黙っていればわからないはずだという視聴者をナメた過剰演出エピソードがあったりしました。

さて、現状で広告費によって回っているメディアが大半を占めていて、読者も、そのメディアをタダ(もしくは通信費を含めて安価)に楽しめている状態になっています。

たとえば筆者の見ていた1995年頃のネットは「お金の匂いがしないテキスト」ばかりが大半で、大学関係者かエンジニアか暇人かマニアしか情報発信をしていない、わかりにくい濃い世界でした(お金の匂いがする情報はアングラサイトだけでした)。

ネットで価値のある情報を流通させても、課金手段がほぼ存在しないので、元手の掛かったレビューや取材記事は実現が難しいものでした。そういう意味では今のネットは、閲覧数を集めて広告費を集めることで記事に手間や費用を掛けられるようになったといえます。

ただ昔も今も読者心理にある「読みたいと思ったタイトルだったが、開いてみたら期待を裏切られた」というガッカリ感は無視できないと思います。

タイトルにPRと入れることが、すべての読者ガッカリ感の解決手段とはなりませんし、それだけで済む話では無いですが。メディア側にあるであろう「うっすらと読者を騙してたとしても、総合的に楽しかったらいいじゃない」という長期的に読者との信頼関係を失うやり方は避けたほうがいいと筆者は思います。

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