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追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (2.後期HAL研編)

Kiyoshi Tane
2015年8月10日, 午後12:10 in Hal
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第1回:追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (1.初期ファミコン編)

第2回:追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (2. 後期HAL研編)

第3回:追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (3. 任天堂社長就任前後編)

天才プログラマー兼社長・岩田聡氏が手がけたゲームソフトを振り返り、故人の足跡をたどる連載も2回目。前回の初期ファミコン編に続いて、今回は岩田氏が古巣であるHAL研の社長に就任した1992年前後の作品『星のカービィ』『メタルスレイダーグローリー』『マザー2』を振り返ります。



「できることならプログラムを書いていたい」

任天堂の社長に就任してからもそう言っていた岩田聡氏は、実際に「コードを書ける社長」でした。昔取った杵柄で潜在的なポテンシャルがあるというのではなく、本当に現場で作業し、プログラマー専業の人達に驚かれていたのが恐ろしいところ。

プログラマー35歳定年説という俗説がありましたが、岩田氏はそれを5歳も上回る40歳まで現役プログラマーでした。平日は社長業もあって時間が取れないからと、夜や休みの日に仕事を持ち帰り、自宅で書いたコードを「こんなの出来たんだけど」と月曜に見せて喜んでもらえるのが面白かったとか。

天才プログラマーであり天性のワーカホリックだった岩田氏が、倒産の危機に瀕したHAL研の再建を背負う社長となったのが1992年のこと。その2年前に同社の開発部長に就き、さらに遡れば20代半ばに10人の部下がいた氏は、早くから「人々を導くプログラマー」でした。

今回はそうした1990年前後、任天堂ハード的にはファミコン末期とスーパーファミコンの登場、ゲームボーイの誕生といった激動の季節に、脂が乗り切っていたプログラマー・岩田聡の代表作3本を紹介します。

『メタルスレイダーグローリー』


メタルスレイダー

HAL研が自社ブランドで最期に発売したコマンド選択式のSFアドベンチャーゲーム。漫画家・イラストレーターの☆よしみる氏が持ち込んだ企画を元に開発されたもので、グラフィックやサウンドはファミコンソフトの最高峰と言われ、使用されたROMも最大容量の8Mbit。ファミコン末期ゆえに流通本数も少なく、一時は10万円を超えるプレミアム価格が付いていました。

Gallery: メタルスレイダーグローリー (Wii U VC) | 4 Photos

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主人公の日向忠が乗りこんだ作業用メタルスレイダー(ロボット)に「地球が危機に瀕している......」と物騒なメッセージが仕込まれていたことから、コロニーを股にかけて謎を解くことに。ガールフレンドを連れながら行く先々で美女をナンパして(謎解きの)フラグを立てつつ、重度のシスコンも忘れずエイリアンとの戦闘もある冒険は短いながら密度も濃く、ストーリーも高く評価。任天堂というよりも、同社が開発・発売した『ガルフォース』的な80年代アニメ世界観に近い感じです。

最高峰のグラフィックは、最高峰にかかった手間暇によるもの。企画者の☆よしみる氏ご本人がキャラクターデザイン、ストーリーを担当し、当時はグラフィックツールもなかったので一枚ずつドットを手打ち。絵コンテ1000枚以上も書く作業を1年続け、それをHAL研のスタッフが技術的にサポートして完成した経緯です。

ファミコンの限界に迫るグラフィックも、スプライトがチラつかないように(ドラクエでパーティと村人が横に並んだ時に起こったアレ)少しずつズラし、大容量ROMでも収まらないCG枚数を稼ぐためにパーツを使い回したり。HAL研の高いプログラム力が、☆よしみる氏の地道で気が遠くなる手作業をバックアップした形です。

メインプログラマーは向井忠氏。プロデューサーとしてクレジットされてる岩田氏もプログラムに関わっていますが、最大の功績は4年2ヶ月もかかった開発を、HAL研の開発本部長として支えたことでしょう。

本作は高騰した宣伝費を回収できず、HAL研の経営を傾かせた一因となりましたが、それでもクリエイティブを優先した岩田氏。後にスーパーファミコン向けにリメイクされた『ディレクターズカット』が任天堂から発売されましたが、岩田氏にとっても思い出深い一作だったのでしょう。

『星のカービィ』

岩田氏の元部下であり、かつては二人三脚の良きコンビだった桜井政博氏が、22歳の若さでゲームデザインを手がけたゲームボーイ用アクションゲーム。主人公のカービィが何でも吸い込み、星に変えて吐き出して敵を倒します。後に任天堂の歴代ハード向けに続編が登場して、人気シリーズとなりました。今やカービィの代名詞であるコピー能力が登場したのはファミコン用の『夢の泉の物語』であり、第一作である本作にはありません。

Gallery: 星のカービィ (GB) | 4 Photos

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元々は『ティンクルポポ』というタイトルでHAL研から発売される予定で、2万6千本もの仮注文を集めていました。その試作品を宮本茂氏に見せたところ、仮注文をキャンセルして、改めて任天堂から『星のカービィ』として発売することに。

その結果、500万本以上の大ヒット。宮本氏の"ちゃぶ台返し"のおかげで世界に羽ばたいた形ですが、桜井氏によればROM容量が2倍+2周目追加しただけで、任天堂から具体的なアドバイスはもらってないとか。それにしても『ティンクルポポ』の発売予定が92年1月で、「カービィ」の発売が同じ年の4月。たった3か月延期しただけで、製品版の完成にこぎつけたプログラマー・岩田聡のワザマエは鬼気迫るものがあります。

『MOTHER2 ギーグの逆襲』



糸井重里氏がゲームデザインを手がけた『MOTHER』シリーズの第二弾。開発に5年かかりましたが、4年目にしてプロジェクトが頓挫しかかることに。シナリオやグラフィックやサウンドなど素材が揃っているのに、プログラムが難航して......というピンチに登場した助っ人が、HAL研の社長で現役プログラマーだった岩田氏でした。

糸井 「(岩田氏が)これをこのままつくるなら2年かかります」
岩田 ええとね、私の記憶によると、とりあえず、その時点では完成する流れになってなかったんですね。で、まず「このままではできないと思います」って糸井さんに断言したんです。
岩田 「よければお手伝いしますが、つきましては2つ方法があります」と。そこで、そのことばになるんですね。「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」と。 (『MOTHER2』ふっかつ記念対談 はじめてのひとも、もういちどのひとも。 - ほぼ日刊イトイ新聞 )


......といったやり取りは有名すぎて耳タコでしょう。少し補足しておくと、岩田氏がメインプログラム以上に力を注いだのは、自分以外のスタッフが使える開発支援ツールでした。氏はファミコン用『ゴルフ』のデータ圧縮を人間が手作業でやっていた頃から、「機械ができることは、できるだけ機械にやらせたい」と考え、次第にツールの開発が仕事の中心になっていったとのこと。

 そうした糸井重里氏との出会いは、『ほぼ日刊イトイ新聞』の立ち上げに協力して"電脳部長"と呼ばれるほどの深い絆に。「ほぼ日」でのゲームの面白さを分かりやすい言葉にした対談は、後にユーザーに直接!語りかけたニンテンドーダイレクトや、開発スタッフから言葉を引き出す『社長が訊くシリーズ』の原点になったのです。

次回は最終回。名刺には社長、頭の中はゲーム開発者、心はゲーマーだった岩田氏が、ユーザー人口の拡大に心血を注いだ作品にスポットを当てる予定です。

第1回:追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (1.初期ファミコン編)

第2回:追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (2. 後期HAL研編)

第3回:追悼・岩田聡氏。ゲームで辿る天才プログラマの軌跡 (3. 任天堂社長就任前後編)

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