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100年前に利用率が日本で最も高かった図書館の話 : 情熱のミーム 清水亮

なぜ紙の本を書き続けるかわかった気がする

清水亮, @shi3z
2018年6月9日, 午後04:30 in Book
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ここのところやたら記念日づいているのだが、今年は戊辰戦争(明治維新)150周年であり、長岡藩開府400周年であり、そして長岡市立図書館100周年ということで、またまた地元に呼ばれたので行ってきた。



記念講話として、長年、図書館の館長として務めた稲川先生の講話を聞いたのだが、これがこの手のイベントの講話にしては意外と(失礼)面白くて感銘を受けた。

長岡の図書館が最初に設立されたのは、互尊翁(ごそんおう)こと野本恭八郎が私財を投じたことによる。

この野本恭八郎という人がどうやら尋常ではない人で、一介の商人でありながら、市が運営することを条件に私財を投げ売ってまで図書館を創立した。市立の前に私立に近いかたちで成立した図書館なのである。

稲川先生によれば、蔵書規模として当時の日本で二番目、利用率では日本一位を誇ったという。

この図書館の設立目的は、地域振興でもなんでもなく、「互尊思想(ごそんしそう)」という野本独自の思想を広めるためだったという。

互尊思想とは、正確には「互尊独尊」の思想といい、己の天性の本文を尊び(独尊)、同時に他人の天分をも尊び(互尊)、互いに認め合いながら生きていくと説く思想であり、私欲を捨て生涯にわたって社会に奉仕するというもの。

新潟の片田舎にありながら、「日本は日本にありながら世界であり、世界は日本である」というエベレストのように高い志を掲げられてつくられたのがこの互尊文庫だという。

「いまを生きている人だけを見るのではなく、これから生まれてくる子どもたちにこそ幅広い知識と教養を与えることが肝要である」として100年前の6月8日に設立された。

戦争に巻き込まれて一度消失するも、再び当時の商人だった内藤伝吉の寄付により復活。図書館自体が不死鳥のように蘇り続けるという、奇妙な歴史をたどる。

以前にも図書館についてどこかに書いた気がするが、とにかくこの街の図書館は「変」である。

「変だ」ということは東京に出てきてようやく理解できた。

僕にとっての図書館と、一般的な意味での図書館はまるで違ったのだ。

この街の図書館は、基本的に蔵書がハチャメチャである。良く言えば幅広い、悪く言えば節操がない収集方針になっていて、ときには「これ誰が読むんだ?」というような内容のものまであったりする。



おそらく一生をこの地で暮らす人にはまったく縁がないであろうジョエル・ロブションの本まである。

ちなみに中身はジョエル・ロブションのレシピであり、そもそもレシピの最初の段階から「野うさぎの肉」「とれたてのポルチーニ茸」など、「それはどこに売っているんだ?」というレベルの内容であり、当然、この街でそんな食材を手に入れる方法はない。誰がなんのために読むのかまったくわからない。

だが、こうして知見を広げることによって得られる教養こそが大事なのだ、という思想によって運営されているらしい。

ノストラダムスの大予言やらの怪しい本もあれば、難しすぎて、やはり「誰が読むのだ?」と首を傾げてしまう本も多い。



大学の図書館にでも行かなければ置いてないような本もある。

こういうのが子供の手の届くところにあるので、子供の頃から「わからないなりに難しい本を読んだふりをする」という遊びを覚える。

東京でこの本棚に一番近いのが、本郷の東大生協の書籍部である。

役に立つのか立たないのかわからない本ばかりだが、これでも50万冊ある蔵書のごく一部に過ぎない。蔵書は常に入れ替わっていて、熾烈な競争のある書架で長い年月を生き残るのは至難の業なのだ。

基本的に、この街に住んでいない人にはかなりどうでもいい話だと思うのだが、図書館の歴史を振り返る場面ではちょっとジーンとしてしまった。

こういう図書館が日本にどのくらいあるのか知らないが、少なくとも僕の知る限り、東京の公共図書館というのはもっと極端に老人向けか子供向けのものだけであり、わけのわからない本があちこちに陳列されている図書館というのはあまり見たことがない。



そもそも建物も無駄にでかい。

しかし、今回の式典で一番驚いたのは、なんと長岡市はさらに巨大な図書館をつくろうとしているらしいということだ。

すでに5箇所くらいに市立図書館があるのに、どんだけ図書館を増やしたいのだろうか......。

図書館を増やすことが地域の教養レベルを上げ、活性化につながるのだという宗教めいた信念がその根底にあるのかもしれない。

本で残る情報とネットに残る情報は違う。

ネットはどんなに古い情報でも、数十年もすればどこかに消えてしまう。よほど偏執的な人がバックアプをとっていない限り無理だし、実際、そんな奇人はめったにいない。Wayback Machineを使えばある程度古い記録も辿れるが、僕なんかは自分のブログすらたどるのが困難である。


それに引き換え、書籍というのは、否が応でも残ってしまう。

100年前の本も残ってるくらいだから、ネットよりもずっと寿命は長いと言えるだろう。

ひょっとするとこれが僕たちがいくらネット時代になっても紙の書籍をつくりたがる本能的な理由なのかもしれない。ミームが文章に宿るとしたら、その文章はできるだけ大量に、できるだけ広範囲にばらまかれたほうがいいからだ。

電子データのキャッシュとは根本的に違う価値が、おそらくそこにあるのだろう。
 
だから我々売文を生業とする人間は、今日も紙の本を書き続けるのだろう。

きっと、たぶん......。


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