Sponsored Contents

最新記事

Image credit:
Save

祝PCエンジン mini発売決定、当時現役で遊び倒したライターが「PCエンジン」を回顧する

氷河期世代の僕にとって、小学生から大学入学までをともに過ごしたハードだった

山谷剛史, @YamayaT
2019年8月31日, 午前10:00
415シェア
27
388,"likes":432
0

連載

注目記事

1億画素超えカメラ搭載スマホ、シャオミ「Mi Note 10」のグローバル版を試す。日本での発売に期待
12

1億画素超えカメラ搭載スマホ、シャオミ「Mi Note 10」のグローバル版を試す。日本での発売に期待

View

レトロゲーム機の"ミニ化"ブームが続く中で、「PCエンジン mini」が来年3月に発売される。筆者は、学生時代、クラスの男子の中で話題の中心だったファミコンよりもスーパーファミコンよりも、PCエンジンばかり遊んでいた。大人になってから四捨五入で20年も中国のITの記事ばかり執筆するというマイナーな仕事をしているが、それもこれもPCエンジンにはまったのが原点としか思えない。

バングラデシュやミャンマーやインドネシアやインドといった遠い土地で同じ世代の日本人と会うと、高確率でメガドライブやPCエンジンやMSXなど、当時主流ではないが味のあるハードで遊んでいたことからも、まんざら間違いではないだろう。いいモノなのにほとんどの友人に伝わらないPCエンジンやメガドライブはその後の人生を狂わせたのだ。

そんな僕があくまで1プレーヤー、1消費者の視点から、当時のPCエンジンについて語っていく。

筆者は1976年生まれで今年43歳となる。いわゆる就職氷河期世代だ。小学2年生のとき、逆算すると1984年に、それまで四角だったAボタンBボタンが、丸くなってリニューアルされたファミコンを購入した。任天堂やハドソンやナムコやコナミのゲームを自分の家から友達の家に行って遊んだ。ハドソンのシューティングソフト『スターソルジャー』で、ハドソンの夏休みの風物詩「キャラバン」があることを知り、そこでやりくりする神様のような高橋名人に目を輝かせた。キャラバンはハドソンが当時展開していたゲーム大会で、ほとんどは縦シューティングゲームで、2分、あるいは5分で高得点を競うというものだった。これが当時のファミっ子にはアツかった。

PCエンジン▲初代PCエンジン。ただしパッド(コントローラー)だけ連射できるものに変えている
PCエンジン▲PCエンジンの「コア構想」と呼ばれるものの中には、周辺機器で絵を書きスキャンしプリントするブツも

PCエンジン(Huカードだけが遊べる)が出たのが1987年(昭和62年)だ。ローンチソフトのひとつ『THE功夫』は、当時としてはありえないほど巨大キャラが動くゲームとあって、僕もゲームが遊べる池袋の東武百貨店のおもちゃコーナーで驚いた(当時はデパートのおもちゃフロアでゲームが遊べたのだ)ものだ。僕が直接本気で欲しいと思ったのが、その直後に出た『カトちゃんケンちゃん』だ。なにせ当時子どもたちに人気絶頂のグループ「ドリフターズ」の加藤茶と志村けんでプレイできて、しかもファミコンでおなじみのハドソン製だったのだ。しかもPCエンジンのラインアップを見れば、ハドソンだけでなくナムコも参入していて、ナムコはナムコでファミコン向けよりも綺麗な画像や音楽のゲームを出している。PCエンジンは"買い"だった。

THE功夫
▲THE功夫

翌年、1988年(昭和63年)の後半にはPCエンジンの拡張CDドライブユニット「CD-ROM2(CDロムロム)」が発売される。CD-ROMをゲームソフトに使うハードで、初代『ストリートファイター』の移植『ファイティングストリート』がローンチタイトルだった。CDドライブとインターフェイスユニットが別売りで、ドライブ単体でCDプレイヤーとしても使える仕様だったおかげで、僕は遊ばないときには、ドライブ単体で各ゲームの"3曲目"から聴けるゲーム音楽を聞いていた。

1989年となり、平成に入ると、CD-ROM2用の『天外魔境』『イースI・II』が登場して、音楽と音声とボリュームに驚かされた。PCエンジンの音楽はバブル経済の残り香があるからか、音楽に気合の入っているゲームが少なくない。特にイースシリーズの音楽比較動画など見ればわかるが、プレステ世代やそれ以降よりも音楽がすごいケースがあった。

イースI・II
▲イースI・II

PCエンジンといえば、アーケードからの移植がすごいということだった。1988年前半に"完全移植"の『R-Type』が出てくる。容量が足りなくて2枚組で、横にさまざまなキャラを出すとスプライトがチラつくという"PCエンジンしぐさ"が出たけど、それでもゲームセンターにあるゲームがほぼそのままで出てきたので、「キラーソフト」といえるほど多くの人が遊んだ。移植タイトルではナムコからは 『源平討魔伝』『スプラッターハウス』『超絶倫人ベラボーマン』『ワルキューレの伝説』などが、タイトーからは 『究極タイガー』などが、アイレムからは『イメージファイト』や『最後の忍道』などが出て、アーケードの移植タイトルを家で遊びたいと思わせた。

コナミも1991年からPCエンジンに参入し、『グラディウス』シリーズを続々発売した。1993年にはNECホームエレクトロニクスから突然『ストリートファイターII'(2ダッシュ)』が発売。発売1か月後にスーパーファミコン用の『ストリートファイターIIターボ』が出て、一気に980円のワゴンセールとなってPCエンジンユーザーとしてプライドをへし折られたが、いい出来だった。PCエンジンの移植ゲームなら本物そのままに動くと当時は思っていた。

PCエンジン
▲コナミとハドソン。PCエンジン後期は期待の2社だったが......

CD-ROMで心が射抜かれたのは1990年3月に発売された『スーパーダライアス』だ。当時の発売元は「NECアベニュー」で、移植作品ばかり出していた。R-Type同様、ちらつくけど神がかった出来栄えで、ゲームセンターでろくに遊べなかったのできりがないほど遊んだものだ。ちなみにスーパーダライアスの発売日が、ナムコの『源平討魔伝』の発売日と同じで、どんだけ欲しいタイトルが出てくるんだよとお小遣いを落とした記憶がある。

スーパーダライアス
▲スーパーダライアス

アーケードの移植以外では、Huカード作品で対戦できる『スーパー桃太郎電鉄』や『ボンバーマン』、5人同時RPG『ダンジョンエクスプローラー』、SLGの『ネクタリス』、アクションゲームの『PC原人』などの人気タイトルが登場する。とにかくハドソンが強かった。

同時に遊べるレースゲーム『モトローダー』やアクションゲーム『シュビビンマン』のメサイヤもあったし、『ファイヤープロレスリング』や『フォーメーションサッカー』などのスポーツで定評のヒューマンもあり、タイトーのバブルボブルシリーズ『パラソルスター』もあり、データイーストの音で敵を探して倒すゲーム『サイレントデバッガーズ』もあり、ゲームによっては4人同時でわいわい遊んだ。雑誌「PCエンジンFAN」「月刊PCエンジン」「マル勝PCエンジン」という雑誌やテレビ番組の「大竹まことのただいまPCランド」をみながら、欲しい物ばかりと唸っていた。

PCエンジン▲PCエンジン雑誌は長く出続けた

僕としてはファミっ子の夏休みの風物詩、シューティングによる「キャラバン」をひっさげて『ガンヘッド』がやってきたのは嬉しかった。夏のキャラバン用ゲームは『スーパースターソルジャー(1990)』『ファイナルソルジャー(1991)』『ソルジャーブレイド(1992)』と続いた。毎年のようにキャラバンの会場である新宿のデパート(伊勢丹だった記憶がある)や、川越の丸広百貨店に行った。当時の熱気はすごかった。

また一方でPCエンジンでシューティングを中心に、多数のソフトを出す「ナグザット」という企業が、ハドソンのキャラバンのような「サマーカーニバル」を毎年夏に開催。『精霊戦士スプリガン(1991)』『アルザディック(1992)』『ネクスザール(1993)』と出していった。破壊しまくりのキャラバン系シューティングといえばPCエンジンだった。

ちなみに僕はガンヘッドのゲーム大会に出たときには13歳で、ハドソンのキャラバンは中学生以下部門と高校生以上部門に分かれていて前者に参加した記憶があるが、ネクスザールのゲーム大会に出たときには17歳の高校生。周りを見れば似たような人かそれ以上のお兄さんがこじんまりと大会をしていたような記憶がある。

PCエンジンをギャルゲーマシンと思ってる人も多いだろう。CD-ROM2黎明期から日本テレネットという会社が、絵を出し声優が話す"ビジュアルシーン"中心の多数タイトルを出していた。塩沢兼人さんや久川綾さんや銀河万丈さんや郷里大輔さんあたりは定番だった。「ビジュアルシーンばかりだったので声優を覚えた」という僕みたいな人もいるのではないか。

ギャルゲーがエロゲー混じりになったのは、PCエンジンを代表する名作RPG『天外魔境II』が出た1992年。NECアベニューからパソコン用のエロゲーの移植『ドラゴンナイトII』が、さらに翌1993年にはナグザットからアーケードの脱衣麻雀の移植『スーパーリアル麻雀PIVカスタム』が出たことが大きかった。昔のファミっ子も、当時高校生なわけで、マイルドな表現にアレンジされてはいるが、これらの登場はものすごくタイムリーに衝撃だった。

PCエンジン
▲初代の白いPCエンジンとスーパーCD-ROM2の組み合わせ

1991年にスーパーCD-ROM2が登場するも、ゲームタイトル数はスーパーファミコン登場以降少なくなるし、クラスメートはPCエンジンにはいかず、ファミコンやスーパーファミコンに夢中だし、ということで、やはり孤高のPCエンジンユーザーだった。それでもスーパーCD-ROM2ではハドソンを中心に良質なゲームが出続けた。シューティングが好きなので、メガドライブ陣営のテクノソフトのスタッフが作ったというシューティング『ゲートオブサンダー(1992)』『ウィンズオブサンダー(1993)』や、『スナッチャー(1992)』や『悪魔城ドラキュラX(1993)』はスーパーファミコンユーザーは体験できないもので自信が持てた。

PCエンジンが発売されて8年目の1994年、もうだいぶ下火になったときに、コナミから発売された『ときめきメモリアル』が大ヒットする。当時は謎の新作タイトル扱いで発売前は期待されていなかったのだが、ときめきメモリアル買いたさにPCエンジンを買う人が続出するほどのキラーソフトになった。僕はこの歳、高校3年生で、本来の高校生活に加え、同ゲームの舞台「きらめき高校」に何度となく入学することとなり、むしろきらめき高校の学生生活を満喫し、リアルでは浪人することとなる。

ときめきメモリアル
▲ときめきメモリアル

1994年はすでにPCエンジンの末期で、メガドライブの末期同様、初期の頃とは見間違えるほどの技術力を見せるソフトが出てくる。スーパーCD-ROM2をさらにパワーアップした「アーケードカード」ではNEOGEOの移植ソフトが続々リリース。特に『餓狼伝説SPECIAL(1994)』は素晴らしい出来なので、ぜひNEOGEO版やメガドライブ版やスーパーファミコン版との違いがわかる動画を見ていただきたい。

また『銀河婦警伝説サファイア(1995)』は、プレイステーションやセガサターンが出る中で、それっぽい表現を無理くりだしたハドソンのシューティングだ。初期の頃とは別物のソフトと言えば『風の伝説ザナドゥII(1995)』も画面が恐ろしく綺麗に描かれていた。後にプレイステーションやセガサターンに移植された『Linda3(リンダキューブ)(1995)』もPCエンジン末期に打ち上げた花火としては素晴らしすぎた出来だったし、いずれのタイトルも僕が高校3年、浪人生時代に体感するゲームとしてはよかった。

PCエンジン▲全国で売られた最後のPCエンジンソフト『てきぱきワーキンラブ(1997)』

......長文となったが、氷河期世代の僕にとっては、PCエンジンは小学生から大学入学までの長いお付き合いとなるハードだった。それでいて良いタイトルが多いのに、クラスのほとんどの友達に共感されなかった不遇なハードでもあった。補足すれば、PCエンジンとメガドライブどちらがいいか論争は、当時は僕は経験してなかった。PCエンジンとメガドライブは別物だった。それぞれのユーザーが少なすぎるし、お互い持ってるソフトもメディアも違うから、ゲーム仲間での争いはなかった。むしろ有名すぎる任天堂陣営へのジェラシーのほうがあった。ネットのPCエンジンコミュニティーで嫌というほど言われているが「これでファミコンと同じ8bitマシンなんだぜ!」と声を大にしていいたい

PCエンジンmini

先日発表された「PCエンジン mini」には多くの人が歓喜した。持ってたけど共感してもらえなかった同世代の同志が多数いるのだろう。PCエンジン miniに収録の『ダンジョンエクスプローラー』『スーパー桃太郎電鉄II』『ボンバーマン94』で対戦できるのは楽しみだ。僕はこれをできるだけ長く保存して、腕がなまってないかときどきプレイしつつ回顧したい。


広告掲載についてのお問い合わせはad-sales@oath.com までお知らせください。各種データなどはこちらのメディアガイドをあわせてご覧ください。

415シェア
27
388,"likes":432
0

Sponsored Contents