ビル・ゲイツと共に革命を起こした男 西和彦の型破りすぎる自伝を読む

半沢ロスの今、映画化すべきはアスキーの社史

神田 敏晶(Toshiaki Paul Kanda)
神田 敏晶(Toshiaki Paul Kanda), @knnkanda
2020年10月2日, 午前 06:45 in ascii
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反省記

Engadget 日本版の編集長から依頼があり、元アスキー社長 西和彦(にしかずひこ)氏の自伝「反省記」をレビューするという機会をいただいた。というのも編集長も元アスキー社員であったからだ。

40代以下の人が知らない人物「西和彦」

40代以下の人にとっては、70年後半から80年代のPC業界の混沌は未知の世界のことだろう。かといって、その時代のことは断片的にしか語り継がれておらず、当時の製品は影も形もなく、スペックに関しては今から聞くと桁違いのしょぼく見える。しかし、そこには「デファクトスタンダード」に向けた市場制覇の法則性がいくつも見え隠れしていた。

筆者の人生にも、元アスキー社員、元Apple社員、元リクルート社員という人脈が多い。さらに、元ライブドア社員、元ソフトバンク社員というベンチャー気質の社長が増えている。それぞれが、その出自企業のDNAとネットワークを見事に継承しているような気さえする。また、シリコンバレーでも出自企業のネットワークを脈々と形成し、人脈ができている。

シリコンバレーには、「ウィリアム・ショックレー」がいた

かつて、東海岸のベル研究所から故郷のパロアルトの果樹園へ帰ったウィリアム・ショックレーが作った研究所(1956年)で生まれた半導体ビジネス。そのスタッフが離散してフェアチャイルド社を作り、さらにそこからインテルやクライナーパーキンスが誕生していった。

西和彦氏は日本にパソコン産業を興した人であり、「アスキー」を創業し、1980年代に米マイクロソフトと日本のエスタブリッシュなメーカーをつないだ人である。

現在、世界をリードする「GAFA」企業のいずれも、元エスタブリッシュメントだった企業は一社もない。すべてガレージカンパニーの出自である。新産業は常に大企業ではなく、ベンチャーからしか誕生しないことは歴史的にも証明されている。ベンチャーは、大企業が儲からないと思っているところから常にスタートするからだ。そして大企業よりも小回りが効いて、市場動向に合わせてフレキシブルに、幸福の女神のお眼鏡がかなった者だけが成功者となるようだ。

「タイムマシン」で当時を旅行するような読書

日本でも1970年代から80年代にかけては、世界を席巻するパソコン黎明時代だった。アメリカに次ぐ世界第2の市場として隆盛を誇った時代があったのだ。現在のGAFAに匹敵する、マイクロソフトの「MS-DOS」時代の中心に西和彦氏が居られたことは誰にも否定できない。マイクロソフトと日本のメーカーをつないでいた唯一の存在が「西和彦」だった。ソフトバンクの孫正義氏も、まだソフト流通と出版で「アスキー」の背中を追いかけていた頃。西和彦氏のアスキー設立は1977年、孫正義氏の日本ソフトバンクは1981年。「4年の大きな差」がある。

そして、この書は「アスキー」を創業した西和彦氏による渾身で赤裸々な「しくじり人生」の暴露本であり、「反省記」である。しかし、人物「西和彦」というフィルターを通して、マイクロソフト幹部たちの当時の世界観をタイムマシンに乗って旅することができる唯一の日本語書籍でもある。

当時のPC黎明期のノスタルジックな感傷に浸れるだけではなく、GAFA時代にも「西和彦」的生き方のベンチャーはありなのでは? という可能性を大きく感じさせてくれる。純粋無垢で、傍若無人で、エキセントリックで、まさに多様性の塊のような人格だ。20代前半で最年少での上場を果たし、ホテルオークラと国際線の飛行機を定宿としながらまさに世界規模で「コンピュータはメディアとなる」を実践した半生だったわけだ。

この「反省記」を大きくとらえると、前半のアスキー創業時代、マイクロソフトとのタッグを組んだ黄金期のビフォー、そしてその後の地獄の日々と分けられる。

西和彦側からみたアスキーの視点を愉しむ

また、メディアを経由して聞いた逸話と、弱者がどうやって戦っていくのかというマーケティング的な発想だけでなく、実際の行動の速さにも勇気がもらえる書だ。また、同時に「西和彦」という制御不能なモンスターをどうやって制御するのか、自分がその立場だったらどうだろうか? という問いかけを何度もしたくなる、そんな話が次々と出てくる。いったい「西和彦」はどれだけ自分の心の中の野獣と戦いつづけてきたのだろうか?

何よりも、これがフィクションではなく、当事者から見た視野に基づいたドキュメンタリーであるところに一番注目したい。当然、元アスキー関係者から見ると、それは「西和彦」側の単視点だと異論がある人も多いだろう。しかし「西和彦」視点で見渡した場合の景色は見ておいても損はないと思う。とてもエキサイティングでドラマチックである。「半沢直樹」のベンチャー版だと思っていいかもしれない。いや、これはNETFLIXの「全裸監督」同様、シリーズ化できそうなレベルの原作であり、当時のバブルだった日本の風景を映像として残すべきではないだろうか? あの頃の日本の市場は「アダルトビデオ」と共に「マイコン」から火がつき、「パソコン」が最も熱かったのだ。

もしもあの時の「IF」

Windows 95が発売され、インターネットが黎明期を迎え、いまやスマートフォン全盛時代。それでも、マイクロソフトは、時価総額ランキングでずっと上位に君臨している。

もしも、あの時、ビル・ゲイツの誘いに応じて、日本のアスキーをマイクロソフトにバイアウトし、マイクロソフトの上場に応じていたら……。上場前の株式をナンバー3の立場で所有していたらどうだっただろう。多くの著名経営者に諭されながらも、何度も同じ轍を踏んでしまうほどの恐ろしいキャラクターである西和彦氏。ソニーの大賀さん、京セラの稲盛さん、最強の先生たちとの交流もあった。日本人にして、マイクロソフトの実質ナンバー3だった人がどんな人生を歩んできたのか。それを読み取れるのがこの書だ。

筆者と西和彦氏との接点は、1993年に神戸で開催された「TED4」カンファレンス。ちゃっかり西和彦氏の座席の隣へ座り込んだボクは、西和彦氏に同郷である神戸でメディアをやっている話をした。開口一番、「神田くん、メディアは東京でやらなあかんよ」。当時、筆者はMacintoshの世界で初めてのフリーペーパーを関西で出版していた。東京ではない日本の第2の市場である関西エリアで独占的な勝負していた頃だ。

なんといっても記憶に残っているのは、カンファレンスの間、西和彦氏の隣にいるだけで、ロータスのミッチ・ケイパー氏やら、MITのニコラス・ネグロポンテ氏やら、当時のIT業界のさまざまな生きる偉人たちが情報交換にやってくる。それを西和彦氏は関西なまりの英語で堂々と次から次へと話す。エレベーターピッチで開発中の製品の話の売り込み話が伺えた。そう、これが「西和彦」のネットワーク力のすごさだ。

何よりも驚いたのは、カンファレンス終了後に神戸を離れ、夜には東京に戻って会議をこなし、また翌日の昼頃には神戸に来ているという超人的なスケジュールをこなしていたこと。「新幹線で寝れるからね……」の一言を残しつつ。きっとこんな感じで西和彦氏は、日本とシアトルを往復したことだろう。

西和彦氏のネットワークの源泉は、そんな行動力にあると思う。当時のコンピュータショウへ直接出向き、キーパーソンとの交流をつなぎ、ネットワーク化したことに勝算があった。ビル・ゲイツとも独占販売契約を結び、マイクロソフトの世界売上の4割を日本から叩き出した業績もあり、当時の同社においてビル・ゲイツ、ポール・アレンに次ぐ3番目のボードメンバーとなる。

いや、マイクロソフトに西和彦氏の度胸がなければ、IBMとのMS-DOSライセンス契約の話はなかったのかもしれないとさえ思えてくる。しかし、その場で、ポール・アレンが、ベースとなるシアトルの16ビットOSの会社を口説いて、買収してくるというスピード感もまるで映画さながらだ。ゲイリー・キルドールという人物がもしも、空の上の人でなかったら、マイクロソフトといえどもチャンスが回ってこなかったのかもしれない。

筆者は関西でフリーペーパーをやっていたこともあり、西和彦氏が「月刊アスキー」の販売において、書店営業で「月刊アスキー」を雑誌コーナーに仮置きし、トイレに行っている間に郡司さんが客を装って購入するというまるで漫才のような営業スタイルには印象深いものがある。ちなみに、「反省記」では裏切り者とされる古川享氏の著書「古川享のパソコン秘史」では、返本の嵐となる書店取次ではなく書店の直販を得るためと記述されており、双方の立場を読み解く面白さもある。

ところで、西和彦氏がインテルを訪問する時にヘリコプターで乗り付けたという逸話は有名だが、まさか、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフの遊覧ヘリと直接交渉していたというのにも驚いた。サンフランシスコから60キロも南下したらシリコンバレーだが、数十キロは離れている各社へクルマで回るのはとても大変だ。確かに遊覧ヘリの一日の売上を担保し燃料代を上増しする交渉であれば誰でもできた話なのかもしれない。なによりヘリでやってくる日本のCEOというのはインパクトが十分すぎる。常識はずれとも思える行動は合理性を追求したうえでの意思決定から生まれていたのだろう。

しかし、ウィリアム・ショックレーのように、西和彦氏のまわりには常にナンバー2がいない。いつも孤独だったようだ。書の後半では、側近や仲間が離れていく状況をCSKの故・大川功会長に助けられ、血判状を書いたうえでCSK傘下となり、今までとはまったく違う人生を歩み出す。セガの株主であるCSK側からの視点でゲームコンソール市場のジレンマが味わえる。セガでドリームキャストに賭けながらも後発のプレイステーションに勝てない。それと同時に、生まれて初めて人に飼われるという想いを西和彦氏は雑用を含めて初体験する。

反省記
NEC PC 40周年イベントより(2019年8月)

そして、現在、西和彦氏は過去とのいろんなストーリーを俯瞰して、新たに教育者としての人生を歩んでいる。ビル・ゲイツや孫正義氏のように現役の人もいれば、転身したホリエモンやアカデミックに身を投じた西和彦氏のような「異人」はつかみどころがない。当然、天国 / 地獄のような人生という言葉だけではない、数々のエピソードもデータとして記録整理しておきたいものだ。

そう、関係者が存命中のうちに当時のデータや真実に基づいてそれぞれの方向から見た事実を検証するのは、日本の近代産業史としてもとても興味深い。半沢直樹ロスの状態で、NETFLIXや映画で「アスキー」が見たくて仕方がないくらいだ。誰か作ってくれないだろうか? 脚本のお手伝いがあるなら、ぜひ立候補してみたい。

アラン・ケイ的に言うならば、未来は自分で創れなのだろうが……。


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