広報にまつわる人との接し方を中心に、たくさんの失敗と格別な体験を時事ネタ交えつつお伝えしていく本連載。10回目となる今回も、前回に引き続き小型モバイルPC「LOOX」のPRでいろいろな施策に挑戦したお話です。


こんにちは。前回お話させていただいたのは、「LOOX」のPRのため単に性能を紹介するのではなく、商品のもつストーリーを紹介する取り組みについて。その始まりをピックアップしました。結果、編集部との連携もよくなり、一緒にオリジナルモデルを作るようになったわけです。良い方向に動いているのは間違いありませんが、広報活動を通してモノづくりの厳しさや、社内調整の難しさを感じ、分厚い社内の壁を越えないと何もできないことが分かった頃でした。

人を好きになれる人になりたい

新しい商品を紹介している中、作り手の言葉で伝えることが最も重要だという想いから社内の商品化担当、幹部社員への取材が増えていきました。一緒に出張に行って話を聞いているとモノづくりの面白さが伝わってきます。「こんなに面白い話があるなら記者へ伝えればいいのに」という想いもどんどん増してきます。

そして、1年以上も前からモノづくりをしていることを世の中に知ってもらえることができないか? ということを考えます。ですが、商品の発表前に情報が出てしまうことはご法度。というよりも事故です。もし事前に情報が漏れてしまえば、会社に対する損害は大きなもの。根底から活動を否定されかねない危険な行為。最も慎重にならなければいけない事項で各メーカーはそこを順守しています。ただ、信頼関係を築いてその上での情報提供ができるのなら、開発秘話を後から伝えるのではなく、開発中から見てもらうのがよいかと思い始めました。

もちろん、NDA契約というルールはあるのですが、もっと強固な契約です。でも、そんな契約は存在しないので、できる契約は信頼関係という人と人との心の契約「私とあなたのNDA」。裏切られたらアウトですが、そこは「自分が信じないと相手も信じてくれない」的な発想で情報提供をするようになりました。もし、それが漏れたら……。恐ろしいことですが、人の信頼を失うほど恐ろしいことはないでしょう。相手も絶対に守ってくれるという想いの中でぎりぎりの情報提供を続けていきました。

『宝島』2001年10月10日号(宝島社)

媒体も多岐にわたり、一般誌でもPCは大ブーム。その時に出会ったのが宝島社のT編集長でした。当時の宝島社はPC関係とは程遠い誌面展開をしていました。若い世代が読む雑誌でちょっと毛色が違いますが、T編集長の新しい方針で誌面は刷新されていきます。そこへ思いっきり乗っかろうと決めたのは、編集長からの数々の教えでした。

人から聞いたことやメーカーとの付き合い方、編集の考え方、編集者がメーカー広報についてどう思っているかなど、本当にたくさんの話をさせてもらったと思います。その中でも「編集者担当が変わった後の元担当者との付き合い方が大事」「飲みに行くのは何をしたいためか考える」というようなこと。

これはよくある話で、実際に私が一時期広報担当から外れた時にもありました。雑誌の人事異動で編集長が違う媒体に移った時のことです。その方はパソコンに対して強い想いがあり、デジタル記事を大きく取り上げていました。特にFMVを好意にしてもらえていて、編集長時代はタイアップや記事掲載でとてもお世話になっていたのを覚えています。

大きな特集やパソコンのモニター、レビュー記事も書いてもらっていました。ある時に新製品の投入時期にその元編集長に新しいパソコンを使ってほしいと考え、社内の担当者に元編集長へのレビューマシン提供の打診をしました。きっと良いレビューを書いてくれるに違いないという想いからだったのでしたが、社内の担当者から帰ってきた答えは「もう編集長でないので渡す意味がありますか?」という信じられない答えでした。

これは広報として記者とどう付き合っていくかの本質のような話であると思います。目先の損得を考えるよりも商品を好きになってもらうことが会社への一番の貢献と考えていたかなり憤りを覚えた私でした。そんな話をT編集長にすると「その人って名刺しか見てないんだよね、かなしいなぁ」と遠い空を見つめていうのです。その悟りの境地のようなお話しぶりに学ばされるものがたくさんありました。

振り返ると、自分もイケイケドンドンの頃でしたから、新しい編集部の編集長と話すとなんとなく仲良くなりたいだけでお付き合いをしていたことがあった気もします。調子の良いことを言っていた記憶もあります。でも、それって結局何にも起きない泡のような時間。結局、自分も名刺をみて仕事をしていた部分があるな、と反省させられます。

「編集長でなくなるとみんな結構冷たいんですよ。そういうもんかなぁと。でも、いつどうなるかわからないですよ。会社だから。だからこそ"人"と仕事をしてほしいと思うんだよね」。そうだ、自分は絶対にそうあっちゃいけない。編集者との仕事によりたくさんのことを学ばされるのです。

また、「飲みに行くのもただ飲みたいだけじゃないの」。そう言われるとと恥ずかしくなります。バブルな頃なので面白い飲み屋が多くあった時代です。そんな話題性に富んだ店を探し、一緒に行く行為自体に優越感を持つこともありました。ですが、食事をしたいのではなくて相手と話をしたいから、もっと知りたいから大事な時間をいただくのです。

それをお洒落だからといって遠くのお店に行ったり、話もできないくらいにうるさいお店を探して「ここが最先端ですよ」と満足げにご案内したり、自分の浅はかさを知ることになります。そうだ、この時間をいただいているのはこの人のことをもっと知りたいからなんだ。と考えることを学んだ気がします。

そんな心の師のような編集長と先日久しぶりに会いました。その時も20年近く前と一緒で心休まる師でした。きっとこの人と仕事がしたいと思って新しいことを考え、知恵を絞ってこれからも提案をしていくのだろう、業界が違っても扱う商品が違っても、それぞれの立場が違っても、想いは永遠なんだと考えるとほっとします。たまたま、相手が雑誌社の編集長で自分が広報という立場で偶然出会ったことで、一生大事に思える師にあえたことに感謝するばかりなのです。

商品ではなく人にフォーカスした「富士通の7人の侍」

そんな時にまさに人にフォーカスした企画が立ち上がります。商品開発には複数の部署が関わっていますが、それぞれ思いを強く持って決定するキーマンがいて、その方たちが商品の最終決定を下して出荷されていくのです。そういった人をクローズアップすることで商品に込められた想いを世に伝えたい。何度も編集者と相談をして構想を固め、形になった企画が「富士通の7人の侍」です。この企画は斬新な誌面づくりだと、いつも夜中にメールを送ってくるT編集・T編集長と共に作ったものでした。

『宝島』2001年10月10日号(宝島社)

かねてよりモノづくりの面白さを編集者に伝えていたので、開発責任者にフォーカスをした企画は容易に立てやすかったのですが、商品を一つ作りあげるのには、製造部門の事業部、ソフトウエアの事業部、デザインセンターや販売推進など多岐にわたる部門が関わっています。それらすべての考え方をまとめてものが作られるので、彼らのインタビューを全部見て「なるほどな、この商品はこういった考え方でつくられているんだ。」ということの理解と、「だからこの会社はこの路線で次も新しい商品を出すだろう。それがこの会社のDNAなのだ」というところまで説明できればと思っていました。そうすることによってお客様からは会社の顔が見え、信頼を寄せて購入してくれると考えたのです。

お客様に対する安心感は開発思想のオープンキッチン方式でありたいと思うのです。それでも、「そんなものは会社案内でやってくれ」という声が聞こえてきそうです。読者が面白がってくれる記事にしなければ、企画に理解を示してくれた編集者にも迷惑がかかります。そのために編集者との打合せの中で出てくる要望についてはほぼ100%応えられるよう、取材のアサインをすることが重要な役目となりました。当然、社内の会議室でとはいきません。ある時は東北の天狗をバックに、ある時は「PC業界に嵐を呼ぶ」ということでビル風の強いオフィス街の谷間でなど、シチュエーションを変えたロケを行いました。社内調整も大変で秘書からは「何故、夜に撮影をするのですか? 取材なら本社の応接の方がよいと思いますが」とまっとうな回答をいただきます。それはそうですが、そうじゃないんです!と、とにかく説得しました。理由もロジックもありません。「そういう絵が撮りたいから」という編集者の言葉に答えるためにも社内で汗をかく必要があったのです。結果パソコンの商品開発キーマンを取材した一般誌の編集企画「富士通の7人の侍」は16Pの特集として掲載されました。

『宝島』2001年10月10日号(宝島社)

当時の記事は小冊子にして配布するなど、プロモーションの面でも広がりを見せた企画となりました。ちなみにその10年後にその中の一人は会社の頂点を極めます。頂点に達する直前にそばにいたのもその時のT編集長でした。すべてはつながり、人の想いが商品を作るとすれば、それを人のつながりで広め、そしてさらに多くの人々に届き関心と共感を生む。パソコンのPRの面白さを商品だけにこだわらず、商品を作った人にフォーカスすることで仕事はますます拡大していったのです。


広報の扱う仕事は商品紹介に収まらずメーカーとメディアの橋渡し。会社→商品→開発者までブレイクダウンして活動を続けます。開発者との取材は自分自身が「モノづくりを気にし始める」結果となり、商品のリリースについていろいろ自分なりの想いを持ち、それはそれで商品化に疑問を持つようなこともありました。人に伝える立場としての責任と、会社のスピーカーとしての立場はジレンマも生みます。広報マンのジレンマ。そのお話は次回に。

PC広報風雲伝連載一覧


秋山岳久

PC全盛期とバブル真っ只中からPC事業風雲急時代までPCメーカーで販売促進・広報と、一貫してメディア畑を歩むものの、2019年にそれまでとは全く異なるエンタテイメントの世界へと転身。「広報」と「音楽」と「アジア」をテーマに21世紀のマルコポーロ人生を満喫している。この3つのテーマ共通点は「人が全て」。夢は日本を広報する事。齢55を超えても一歩ずつこの夢に向かい詰めている現在進行形。