FMV

広報にまつわる人との接し方を中心に、たくさんの失敗と格別な体験を時事ネタ交えつつお伝えしていく本連載。12回目となる今回はパソコンがコモディティ化する中、業界の横のつながりも重要になっていき、新しい組織や枠組みができ始めた頃のお話です。


こんにちは。前回はシニア市場に向けた「らくらくパソコン」の投入、それに併せて日経PCビギナーズさん、PC教室の皆さんと連携したお話をさせていただきました。新商品を世に出し、それをコラボモデル化してある特定の市場に打ち出すという試みは、製造販売それぞれの部隊との厳しい調整があり、おかげで良くも悪くもコミュニケーションがとれたという副産物を生んだのです。

この頃の市場はOSやCPUのリリースに各メーカーのPCの発表時期が左右される時代。もちろん、全くそれを意識せず唯我独尊でリリースするメーカーもありましたが、私たちのような総合メーカーとしては効率やそれぞれの関係性も含めタイミングを合わさざるを得なかったのです。というよりもOSやCPUのロードマップを意識しないで何かを行うことはできない雰囲気でした。

そういった流れの中、マイクロソフト社が主導で各メーカーを集めたWDLC(ウィンドウズ デジタルライフスタイル コンソーシアム)という組織が2007年から存在していました。当初、私はあまり関わり合いがなかったのですが、私も順番でWDLC担当になった時期があります。業界を横につなぐということは理想的ですが、非現実的でもあります。どちらに転ぶかは使い方次第。例えば「地上波デジタル」がPCへ初めて導入された時には個社での交渉は限界もあり、メーカー全体が足並みをそろえて業界団体と交渉するなど協業のメリットも感じられました。

ただ、商戦ごとにキャンペーンを共通で考えることは至難の業。この組織に集まっているのは各メーカーの販売推進の責任者でしたが、規定はなく様々な担当者が参加しています。広報と販売推進では、まして製品企画では商品や商戦に対しての考え方が異なります。自社内でも難しいところに他社との協業ですので、話は簡単にはまとまりません。唯一まとまるのは「全社にとってお得なこと」くらいかと感じていました。キャッシュバックとかプレゼントキャンペーンですね。

FMV

さて、マイクロソフトの豪華な応接室で定期的に開催されるこの会合。そこから得るものはたくさんありました。一つはプレゼンの見せ方。元々真面目すぎる会社にいるもので、報告資料や成果報告についてはおもいっきり文字とグラフをこれでもかと詰めて書き込んでお堅い資料となっていました。成果についても当たり前ですが正直に実数を書くことが多く、あまり「想定できる数字の盛り」は使っていなかったのです。

ですがこの会議で出てくる資料はとにかく文字が少ない。そして成果報告もこんなに素晴らしかったんだと未来に希望を持てる数字が並んでいました。それらは決してでたらめではなく、ユーザー動向を方程式にはめたものであり、「きっとそうなるだろう」という思いも含められたような資料でした。

そう解釈するんだなと黙って聞いていると、そこに思いっきり突っ込んでくるメーカー担当者もいます「数字と現場の肌感覚が違いますよ」と詰め寄ったりする人もいれば「うちは参加しないので」という人も。そもそも文化の違う各メーカー担当者をまとめるのは本当に難しく、事務局の皆さんはとても苦労されたと思います。そして業界をまとめてリードするという成果が生まれたんだろうと思います。その中で私はというと……適度に優等生発言をして切り抜けていたのですが、もう一つの関心事が増えました。それはWDLCに参加した人々との個別のやりとりです。

WDLCをきっかけに会社の枠を取っ払った企画が生まれる

すでに広報として様々なPR活動や商品に関わるような施策を行っていたのですが、できていないもう一つの関心事項は他社の内側を見てみたい、ということでした。編集者はそれぞれのメーカーを取材していろいろなことを聞いて記事にします。

「○○さんはこんなことをいっていましたよ。会社のカラーでますよね」などと聞かされることもあります。記事もメーカーごとの縦割りでの記事となるのでそれらの露出は多いのですが、横串にした記事は少なかったのです。もちろん「春モデル全社比較、ベストバイはどれだ!」的な特集はありました。それは商品を串刺しにした企画で、そのメーカー内部の人々や理念を串刺しにしたものではなかったのです。

それでも自社の広報をする上でその開発者や経営陣の思い、考え方は非常に重要です。それをメーカーの枠を超えてかみ砕いて紹介することができれば、読者の人はそれぞれのメーカーの商品が生まれた生い立ちやメーカーごとの差がわかってよいのではないかと思いました。そこでこのWDLCに出版社として参加している日経BP社の中野さんと新しい企画案の相談を始めます。

中野さんとは長い付き合いになっていましたが、日経さんらしく「気を抜くとすっぱ抜かれてしまう」人でもありました。以前、まだ私が駆け出しの頃、当時の広報担当者と記事の内容について激論を交わしている姿をみる場面がありました。「この部分は修正してほしいのですが」「コメントをもらっているので修正できません」。優しそうな目で一歩も引かない中野さん。後の編集長になる方なのですが、とにかく静かに恐かったです。記者にしゃべったら最後。そんな印象が強くあり、とにかく取材についてはめちゃくちゃ厳しい方でした。

ですので、私も一緒に仕事をするようになり、その都度取材の時にはすっぱ抜かれないように気を張っていましたが、それだけでなく、きちんと情報を出し、書いてほしくないことはそうきちんと伝えた上で話す、というスタンスをとっていました。まさにメーカーと記者の関係だったのです。

そんな中野さんにやりたいことを話すと快く乗ってくれました。しかし、記事で書く以上、インパクトがないとかけない。広告とは違うので読者目線で価値のあるものであることが前提条件でした。「読者に響かない内容でしたら取材しても書けない場合がありますよ」。もちろんそのつもりでした。ちょっと出せないものでも出す覚悟(出せるように社内交渉する覚悟)でしたので、それは承知の上ということでこの企画はキックオフを迎えます。そこからどことの比較が読者に刺さるかを決めます。より多くの人に感心を持ってもらうためには「誰と」ということは非常に重要です。できれば「共演NG」的な見られ方をしている相手先が望ましいでしょう。そして、どんな構成にするか。関心を呼ぶ内容は? 見てみたい部分は? こういった部分の相談をかなり綿密に続けていきました。

そしてやはり対象はPC業界の巨人、NECさんとの比較でした。当時の広報だったKさんにまずは相談。当然難色を示されます。社内の堅さでは1,2を争う国内メーカーであり、その編集企画の相手が富士通となればそれは簡単に社内を説得できません。それでもなんとか関連部門に話を通してもらい企画は進んでいきます。きっと「質問内容は」「相手は誰が受けるのか」「この企画はどこからいわれたのか」「断ってもいいのか」「断るとどうなる」等など。それだけにこの時の取材はとても刺激的でした。

なにしろ、ライバル会社の役員や事業部長とのインタビューに同席するなんて当然初めてです。取材に向かうときから緊張感があるのもこの企画の特長でした。例えばPC部門の事業部長同士の対談を行うときにはそれぞれの事業部長のお付きが同行します。私もその一人な訳ですが、いつもより颯爽と会場に入るとか、普段は事業部長に自分で席に着いてもらうところを「○○事業部長、こちらにおかけください」と秘書官的な振る舞いで相手を牽制するとか、些細なことですがそのやりとりが面白かったのを記憶しています。また、会場も社内ではなくホテルのラウンジなど、普段と環境を変えた取材は楽しいものです。特に女性社員同士の対談はそれぞれのメーカーの個性が強烈に表れていて印象的で、会社が違うとこんなに人も違うのかということを感じました。

ライバル社の生産拠点へ初潜入

その中での最大のトピックスは工場の往来。富士通の生産拠点である島根富士通とNECさんの生産拠点である米沢工場、双方の責任者同士の相互見学とインタビューでした。私も米沢工場に入るのはこのときが初です。雪の米沢に電車を乗り継ぎ到着。かなり遠かったため米沢駅の雪の深さと相まって、奥座敷に来たな、本拠地にいよいよ乗り込むんだと妙に構えて臨んだのを憶えています。

fmv
▲米沢駅にて

米沢工場はNECさんのいくつかの製造拠点のいわゆる中心に位置する工場です。会社のDNAがそこにあると言っても過言ではありません。PCの組み立て工場というのはもちろん効率を最優先し秒単位で製造プロセスの改善、コストダウンの追求を行っているのですが、そんな中にも様々な工夫というか仕事を快適にするユニークな仕掛けがあり、それを見る事も楽しみの一つでした。

島根富士通は国内生産でありながら海外生産にも対抗できるコスト耐力が強みでした。ここまで絞りに絞っていながら工場内を走る自動の「部品運搬機」にSMAP(綴りは忘れてしまいました……)と名を付けたり、達成目標や社内表彰とかが随所に張り出されていてほっこりするものでした。あと、記事掲載された雑誌のコピーが張り出されていて、みなさん関心を持ってくれているんだなと自分のモチベーションアップにもつながりました。国内生産にこだわり、お客様によい商品を提供する。世界最強の効率化を目指している工場。私にとって島根富士通はそういうイメージでした。ですので、生産量No.1のNECさんの工場ではどんなものつくりをしているのかと興味津々です。

米沢工場は組み立て工場なのですべてがメイドインジャパンではありません。それでも、製造ラインには印象的な名前がつけられていたり、組み立て工程が島根富士通とは違っていたりと企業文化の違いを感じました。島根富士通の社長や役員もそれらを真剣な目でみていて、いろいろな質問をしていました。「今日は何でも見せますし、しゃべりますよ」そう言われるとかえって聞きにくいこともありましたが、そこは日経BP社の中野さんがきっちりと取材をしてくれました。

そんなわけで初めての米沢潜入となりましたが、そのほかにも各所で両者のせめぎ合いがありました。最初に通された会議室で出てきたお茶のカップがカラーでロゴも印刷されていたので「お金かけていますね、こういうところはコストダウンできますよね」などと余計な発言をしてしまったり、NECさんの代表団が島根に来たときには「島根県のシェアはうち(NEC)がトップなんですよね」と返り討ちにあったりとたくさんのエピソードが生まれています。

何よりも良かったのはその後もそれぞれの工場同士のパイプができた事でした。私もNECさんの各責任者担当者のみなさんとのお知り合いになれましたし、自社製品の広報として世の中に商品を知ってもらう、作っている人を知ってもらう、ということに加えて、世の中にPCメーカーとしての魅力を紹介していくことも広義の自社広報につながるのではないかと改めて感じたのです。なお、少し怖かった編集の中野さんとも非常に懇意になることができました。

FMV

このときの企画は連載となり、また日経さんの周年企業とも重なり特集として紹介されました。ほかのメーカーとともに話題性を作っていくことはこれが最初でしたが、広げようと思えばどんどん広がっていきます。商品発表があるときだけに記事が掲載されるのではなく、商戦期だけに記事が掲載されるだけではなく、年間を通じてPCメーカーが情報を発信していくことの大切さ、日々の情報ですり込まれていく企業の姿を作るためにも、こういった取材は続けていきたいと思ったのです。

後日談ですが、NECさんの担当のKさん、取材のアテンドに非常に苦労されていました。特にトップクラスのアサインは弊社よりも厳しかったようで苦労をかけてしまいました。もちろん、私も社内上層部の取材アテンドは苦心していましたが、過去の何度かの無茶ぶりの取材対応や、島根富士通での経営陣や事業部トップの取材を通して、話が少しだけしやすい環境が作れていたので、「そこまで大変ではなかったけど」と話をするとうらやましがられましたね。共に同じ悩みを抱えていたのでよき相談相手にもなってもらえたと思っています。

お互い持っていたのは「この業界をもっと面白くしよう」という共通点でした。そのおかげもあって(?)今も続く旧友となってお付き合いをさせていただいています。共に苦労すると言うことは自社内だけではなく同業者同士でもあり得るのだと広報ならではの学びとなりました。

fmv
▲島根富士通

そしてもう一つの副産物として広報としての業界の交流会「広報会」を作った事でした。いろいろな人との出会いから、人と人同士でつながることができれば、と思ったのがきっかけです。広報担当者と編集者とのコミュニティを作って横のつながりを持ち、新しく参加した人にとっては交流のチャンスを、古参の人も今まで接点のなかった人との接点を作るきっかけになればと思ったのです。

そんな広報の集まりを開催していると今まで接点がなかった業種の方とのコラボレーションも話に上がってきます。そしてPCのコモディティ化はPC本体からサービス、サポート、周辺機器と巨大な裾野を抱える成熟産業となっていきます。そこでも新しいコラボレーションの種が生まれましたのですが、そのお話は次回に。

PC広報風雲伝連載一覧


秋山岳久

PC全盛期とバブル真っ只中からPC事業風雲急時代までPCメーカーで販売促進・広報と、一貫してメディア畑を歩むものの、2019年にそれまでとは全く異なるエンタテイメントの世界へと転身。「広報」と「音楽」と「アジア」をテーマに21世紀のマルコポーロ人生を満喫している。この3つのテーマ共通点は「人が全て」。夢は日本を広報する事。齢55を超えても一歩ずつこの夢に向かい詰めている現在進行形。