30年前はブラックなんて言葉はなかった。FM TOWNS発表会の舞台裏で24時間戦った男:PC広報風雲伝(第1回)

人は24時間戦えない

秋山岳久
秋山岳久
2020年06月26日, 午前 07:00 in pc-kouhou
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広報一筋30年超──「私にとっての広報は人との縁で創る仕事」と語る秋山岳久氏によるこの連載。広報にまつわる人との接し方を中心にたくさんの失敗と格別な楽しさの体験談を時事ネタ交えつつお伝えしていきます。


こんにちは。長年某PCメーカーで広報・プロモーションを担当していた秋山岳久です。

2019年に早期退職をして、現在は以前からのライフワークでもあった日本の文化をアジアに拡げるエンタテイメント会社で勤務していますが、30年間PCメーカーで働いていた広報活動が染みついていて、未だにリリースを書くときにPCメーカーの流儀で書いてしまって直されることも多々あり(PCメーカーはメーカーごとに癖が強いので)、文化の違いを感じると共に、いつまでも勉強中な人生を送っています。

世の中にたくさんの業種・職種があるなか、縁あって広報の仕事をずっと続けてきました。そんなこともあり、矢崎編集長からお声がかかりまして、私の経験を元にいろいろな時事ネタを広報的に読み解いてみたいと思います。

30年というと、本当に長いです。走馬灯もよぎりすぎる位に。振り返ってみると、1990年代からものすごくたくさんの商品を世に出すお手伝いをしてきましたが、やり方には共通項が合って、ある意味同じようなことを繰り返してきました。これをDNAというのであると思うのですが、結局自分はずっと昔から同じ思考で同じことを繰り返してきたのだと思います。それはこれからも変わらないでしょう。

でも、もちろん古いものをひっぱり出してきて成り立つほど仕事は甘くは有りません。その事象に合わせて作法を変えていく事、言ってみれば最も新しい考え方を採用しながら商品のPRを考えてきました。時代背景も様々ですが、自分の中の広報という生き方はこうだ! という思考をいろいろ変換させてやってきたのです。

バブル時代──最初の仕事

まずは、昔の話からさせて頂きましょう。

時は1989年。世の中がバブルにまみれていた頃。FM TOWNSという世界で初のCD-ROM搭載PCが発売されます。そのプロモーションが私のPCメーカーとして最初の仕事でした。

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新人時代ですので言われるままに言われたことをやっていましたが、そのメインの仕事がそのパソコンの拡販でした。この世の中に初めて出る、巨額の広告費を投じた商品のプロモーション担当です。

もちろん下っ端ですので、自分で考えるというより、上司が広告代理店と打ち合わせながらそれを実行していく一連の作業を一緒に行うという立場になります。結果、この時の経験がビジネスマン人生の全般にわたるとは思いもしませんでした。

このFM TOWNSというのは一言で言うならば「2時代早すぎた商品」。技術的にCD-ROMを搭載していても使えるソフトがなかったり、そもそも人々がパソコンに求めるものはオフィス端末かゲームの両極端であったりしたわけです。その当時はワープロが専用機として大きな市場を作っていました。そして、当然インターネットはまだ世に出ておらず、通信はパソコン通信。NIFTYの時代です。

コンシューマ市場に打ち出したこのパソコンですが、どうやって使っていいかわからない人たちにパソコンの使い方を伝える所から始めるため、お金をかけるしかなかったのです。大規模な広告戦略、東京ドームでの単独展示会など、それはそれは華やかなものでした。

発表日に向けて社内は殺伐としていて、当時の部署は年齢層も若く30歳はもうとても偉いチーフクラスでした。ほとんどの社員が20代だった記憶があります。今思えばその殺伐さはありえないレベルでした。当時は丸の内の不夜城とも言われていましたが、本当に不夜城でした。私たちのプロジェクトは東陽町に構えておりましたが、20時、21時は当たり前、23時に丸の内に戻るなんてことも多かったです。自分自身も若いし経験も知識もないので同じようなミスを何度もして、それをリカバリーするために更に残業の連続。特にリリース間近は思考回路もマヒしていました。

コピーマシンだった頃

その当時は社内リリースを出すのもコピーをとって全社部門に配布していました。部数にすると約2400部だったと思います。

なんで覚えているかというと……当時のリリースは頭書きがあり、配布先の部署名が記載されています。そこに送り先の部署名をマーカーで色付けし、タイトルの所で2つ折りにしたうえ、左右をホッチキスで留めていました。2枚組だったので。4800枚のリリースをコピーして送り先にラインマーカーで線を引き、2つ折りにして、2か所のホッチキス留め。もうそろそろ電車無くなるなぁと無気力になってきたころ、チーフからリリース文の修正が入ります。

「この内容はまだ言えないからこれで刷りなおしてくれ」そういって去っていくチーフ。

誰も怒りを感じません。「まだ、全部ホッチキスで止めてなかったからよかった」程度しか思わず、とりあえず4800部のリリースをゴミ箱に廃棄。4800部全部廃棄です。

その日はそこでやめて、週末に一日中コピー機を回し、なんとか日曜日の夜には社内向けリリースを完成させて発信したのでした。

印刷にまつわる修正が当時は非常に多く、今ほどスピードの速いコピー機ではありません。本当は「自分はコピー担当なのでは?」と思うほどよくコピーをとっていました。トナーの変え方も慣れたものです。

今やリリースは基本メールベースで送るため、この「全数印刷」なんてことはないですが、1990年代は当たり前だった話。ですので修正は死活問題だったのです。印刷する人にとっては。ただ、バブル期だったので、印刷代がかかりすぎて総務に怒られるなんてことがなかったのは唯一の救いでしょうか。まあ、カラーコピーもない時代でしたので、原価が安かったのかもしれません。

24時間戦えますか?

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1991年当時の社内。

画期的な新商品のプロモーションを担当して、初めての事ばかりの生活は肉体的には厳しいですがそれなりに楽しかったと思います。休みも何もなく仕事に集中してやれることがむしろかっこよく感じる若者でした。それでも、日々迫るリリース日に向けてそれに耐えられない人が出てきます。

当時のチーフ(今では某社のとても偉い人)と仕事をしているある日の事。その頃はあまりの激務で体調を壊す人が増えてきて、チームは息絶え絶えでした。店頭キャンペーン用に追加でポスターを全国に送らなければならないとわかったのが深夜2時。担当者が休んでいたので、一日でも早く対応したく、チーフが代わりに運送会社に電話をかけます。平日のド深夜、相手もいないだろうと思うのですが、電話のコール音がかすかに聞こえてきます。10回……20回……。

その時でした、「なんで出ないんだよ!」チーフが電話の受話器を叩き付け、電話はオフィスに転がって落ちました。

それを無言で拾い、元の場所において何事もなかったように働き続けるプロジェクトメンバー。この時思いました。「そうか、24時間戦うってテレビコマーシャルほど簡単じゃないんだ」、人は24時間働けない事を知りました。

この時の出来事は私のメーカー人生に大きな影響を与えました。屈強な上司達は鉄人でした。年も4、5歳くらいしか離れていない人達でしたが、当時は大人と子供位の差があるように感じていました。この時に培った経験を私はどんどん活用していく事になります。

次回はこの続きでこのFM TOWNSを世に出してからの苦悩と学びについてお話したいと思います。

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秋山岳久

PC全盛期とバブル真っ只中からPC事業風雲急時代までPCメーカーで販売促進・広報と、一貫してメディア畑を歩むものの、2019年にそれまでとは全く異なるエンタテイメントの世界へと転身。「広報」と「音楽」と「アジア」をテーマに21世紀のマルコポーロ人生を満喫している。この3つのテーマ共通点は「人が全て」。夢は日本を広報する事。齢55を超えても一歩ずつこの夢に向かい詰めている現在進行形。

 
 
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