広報にまつわる人との接し方を中心に、たくさんの失敗と格別な体験を時事ネタ交えつつお伝えしていく本連載も24回目。今回は、「なぜ私は人の仕事に思いっきり口を挟むのか」をテーマにお届けします。


在任中より関わっていた新しいものづくり。広報という立場から様々な案件にチャレンジしていましたが、こうして顧問になっても、ものづくりの現場を目の当たりにできたことをうれしく思っています。そして、クラウドファンディングに挑戦するという初の試みも見届けることができました。

こういったものづくりは通常、事業部が中心となり、営業の声を聞きながら進められていきます。広報ができることは通常、できあがったモノを紹介すること。でも今回はその橋渡し役も務めました。

橋渡しもピンキリで、どこまで首を突っ込んでいくかは人によって考え方が異なるかもしれません。「そこまでやる?」という人もいれば、「それは分野が違うでしょう」という人もいるでしょう。今回なぜここまで首を突っ込んでしまうかというと、現職時代の上司の言葉があったように思えます。

「人の仕事に顔を突っ込む仕事の仕方をしなさい」

富士通の上席常務まで上り詰めたこの方、落ち着いた物言いでいつも冷静、数字にめっちゃ強い。それでいてメディアが好きで、歌が好きで、ボーリングの腕前はプロ級。マイボールを持っていました。社内のボーリング大会にマイボールを持ち込むのはこの人ぐらいだったはず。そんな「興味を持ったモノには何にでもとことんこだわる」上司がいたからできたことなのかもしれません。

私も広報として様々なところに顔を突っ込み、担当外と思われる仕事をしていました。時には偏った人に見えていたことでしょう。そんな私も格別な夢を抱えていたのです。

島根富士通が30周年を迎える

今年30周年を迎える島根富士通。富士通PCの生産部門としてノートパソコンの製造を一手に引き受ける工場です。今までの30年を振り返り次の30年を考える「NEXT30」というプロジェクトも立ち上がりました。これからのものづくりは厳しいなんて言われている中、どんなことをしてくれるのか楽しみでもあります。

島根富士通には取材で何度も行っており延べ回数にすれば50回くらいは行っているはず。一番最初は出雲駅伝の立ち会いのときですので、1991年だったと思います。岩国市長が同席するパーティに参加して、当時は出雲ドーム(木製ドーム)とか出雲駅伝とか大規模な事業がたくさん行われていました。それから長い間お世話になっている出雲。おかげさまで宍道湖7珍味が全て言えるようになりました。バスガイドもできますね。そんな島根富士通との関わり合いの中とても印象的なことがありました。それをいくつかお話しします。

私が島根に行くのはほとんどメディアの取材同行としてでした。島根富士通の特徴としては、メイドインジャパンとして全て島根工場で生産していることや、特に海外に負けないコスト耐力を持つこと、メディアの皆さんはなんといってもモチベーションが高く、非常にメディア受けが良いということ。それでも単に商品紹介をするなら島根まで行って取材をしてもらう意味は(ないことはないですが)ありません。

そこでいつも「島根に行かないとできない取材」を必ず入れるようにしていました。島根富士通という企業が森だとすれば木を見ず森だけを見ても本質がわからない、ということで従業員の取材を極力組み込むようにしたのです。経営幹部から、チーフ、担当者、新人に到るまで様々な人を取材対象にしました。その時の取材媒体の特性に合わせて人選をしてもらうのですが、取材を受ける人たちの真面目さには毎回学ばされることが多かったです。

島根県民のプライド

ある取材で「現場で働く若手にコメントをもらいたい」という依頼がありました。会社としてはあまりに若手過ぎると就活支援の為の記事でない限りあまり面白いことを言ってくれない(経験値が少ないので言えない)という懸念があるので、不安に思って立ち会ったときのこと。仕事に対する姿勢や考え方を聞いていると、しっかりしているなということが伝わってきます。島根大学を出た彼が「島根に住んでいてこの島根富士通で働けることは幸せ、自分たちが作ったモノは絶対に不良品を出さない。それが自分の信念です」とコメントをしていました。

ものすごいことを言えるなと当時は思いました。でも今はわかります。ものづくりをしている人には自分の作っている「モノ」に対してプライドがとても強くあります。自分が組み立てたモノは全て完璧以外は許せないという思いがあったのだと思います。それまで、生産ラインの担当者からのコメントをもらう機会がなかったので、非常に新鮮でした。

そのころから、ものづくりに対して感心を強く持つようになり、それがきっかけで、ことある毎に「こういう商品作れないですかね」と問い合わせをするようになりました。大体、こういう面倒なことをいうのは当時私ぐらいだったのでしょうか。事業部以外で直接作ってなんて言うことはまあ普通にあり得ませんから。相当面倒くさい人だったと思います。

ただ、あるとき「秋山さん、こういうの作ってみたいんだけれどどう思う?」と聞かれたことがありました。そのころは島根富士通でも積極的にビジネスを作っていこうという流れが出始めていて、カスタマイズや名入れサービス、プリントサービスなど、コンシューマ市場に対して生産現場からも発信できることがあると動き始めていました。その相談を受けた時は「一緒に仕事をしているんだと」感じられ、嬉しかった思い出があります。

ちなみに工場見学を行う際には必ず、事業部長クラスまたは役員の取材がセットで行われます。普段多忙な役員のスケジュールを押さえるのは簡単ではありません。そこをメディアの取材だからとなんとかスケジュールを確保し、島根富士通の総務にも○○役員が同席して○○という媒体が記事を書いてくれるので対応をして欲しいとお願いするわけです。

現場の事業部にも取材同行をお願いして、ようやくメディアに取材日程と対応者の確認をして再度念を押すために取材の確認をする。これは記事掲載の確認ですね。記事になるというある程度確約(広告ではないので100%ということは有り得ないのでこれがまた綱渡りなのです)を得たうえで、稟議を起案。皆さんの旅の行程の手配を始めます。

この工場取材は結構好きだったのですが、何分準備の工数の多さと結局自分で行くので人に手配を任せるのも申し訳ないという思いからほとんど自分で(と言いつつ結構お願いもしていましたが)手配していました。それが本当に大変というか、間際までヒヤヒヤしながら進めていました。当時、事後発注は御法度の厳しい時代でしたので、かなりナーバスになって作業をしていたのです。

あるとき、前日に「すみません、急にトラブルがあって取材日程を変更して欲しいのですが」と言われたのには絶句でしたね。エアやホテル、移動の車に食事のキャンセルなど煩雑なことは旅行会社に任せればいいのですが、それだと割高になると全て自前で手配していたので本当に大変でした。そんな大変な思いをしてでも実施している工場見学。回を重ねることに自分の中でマンネリを感じるときもありました。

「ロボット工場」へ

その当時、関わっていた商品にロボットがありました。世の中ロボットブームが起きたあのときです。弊社ではロボピンというロボットを世に出す検討をしており、その量産先行機をどうするかと考えていました。なんとなくかわいいボディ、ロボピンの命名の理由は「地図にピンを刺すようなイメージ」というところから。うーむ、シンプルです。

出典:ASCII.jp( https://ascii.jp/elem/000/001/884/1884801/2/ )

そのロボピンの試作機ができあがり、それをお客様にテストしてもらうわけですが、研究所で作ることはできません。どこかの工場でとなるのですが、すかさず島根富士通ではどうかと会議で打診したわけです。すると、とりあえずできるかどうか聞いてみて欲しいと言われ、早速島根に連絡。当時山根さんという執行役員がいて、「ロボットを作る??」と突拍子もないお願いにはさすがに驚いていました。「できないですかね」というと「できないことはない」と言われ、「じゃぁ作って下さい」とお願いし、具体的なモノを見てもらうことに。「この内容なら問題ないでしょう、しかし……」「何か問題はありますか?」「やったことないからやってみないとわからないんだよね、まずやってみるけれど」という返事でした。

この返事を聞いたときに、人はどう思うでしょう? 確実にできると言ってくれないので無理かもしれない、ほかも探さないとまずいなと思うのでしょうか? 私は違いました。「できるって言ってくれた」。ここは鈍感力で通します。そして、紆余曲折ありましたが、結果として、ノートPCの生産ラインでロボットが作られることになったのです。

その後はいつも通り大変でした。構造や強度の話から保守をするのかどうかに到るまで様々なやりとりがありました。元々富士通研究所が最初に作っていることもあり、研究所のメンバーともやりとりしながら進めます。当然なのですが、非常に細かく、何度も何度もわかりきったようなことまで詳細に確認をします。そして検証してまた確認。根気のいる仕事でした。新しいモノを紹介してさあ次は何? という仕事をしている広報業務とは深さが違う。思いっきり掘り下げて「製造」対するこだわりと細かさは、「ここまでこだわりきるからこそ、島根の生産は海外にも対抗できるんだ」と感じました。

反面、現場には「なんでロボットを組み立てるんだ」という迷いもあったと思います。会社の事業としてはノートPCだけでも十分なビジネスになっていましたが、いつまで続くかわからないのが世の常です。もし、数年後、ノートPCを一切作らなくなったときにこの生産ラインには何が流れてくるのか。そういったことを考えて「気軽に」提案できるのは私の役目と思いました。

こんなに真剣で細かい人たちがそう簡単に新しいことに手を出さない(出せない)ということも感じ、仕事は適材適所なんだなとも。そうなんです、言う人言われる人、やる人考える人がたくさんいた方がいい。「人の仕事に口を出す」ということはこういうことにもつながっているのです。

「ロボット!をつくるの?」そんな所から始まった企画ですが、島根富士通のみなさんのとことんこだわった真面目なものづくりのおかげで厳しい納期に合わせて出荷することができました。結果として大きなビジネスにはつながらなかったロボピンですが、新しいチャレンジ、取り組みの変化にも十分に対応できる生産工場を持っている会社の強みを感じました。考えたモノを直接作ることができる、それは本当に大きな財産であると思うのです。

ものづくりの宝物「お客様のメッセージ」

話は現代に戻りますが、こだわり抜いたものづくりとしてクラウドファンディングを実施している外付けキーボード「LIFEBOOK UH Keyboard」。こちらもスタート初日に目標を達成、そしてさすがに難しいかな、と思っていた3色のキーボードもすべて商品化できる勢いになってきました。

このプロジェクトで私が一番注目しているところがあります。それはお客様からのメッセージです。購入予約をした人が自由に書けるのですが、本当にありがたい言葉の数々がつづられています。もちろん重要なことは褒められることではありません。メッセージの中に、今まで社員が悩んでいたことや、答えが見えなかったこと、本当はどうなんだろうかという正解と勘違いの交差した中でも一つの答えがたくさんつづられています。

クラファンの一番の成果はこのコメントではと私は思います。それは利害関係ないお客様の声がそのまま伝わってくるから、そして本音の言葉だからです。この効果は私は実施する前には全く気が付かなかったことでした。今でもこうして新しい喜びを感じられることを幸せに思います。

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Appleユーザーにも使ってもらえるモノを

そしてもう一つ。LIFEBOOK UH Keyboardのカラーについては当初2色で進めていました。オリジナルのダークシルバーと限定色のガーネットレッドですね。このガーネットレッドはLifebookUHシリーズに代表される深いレッドでお客様からも好評を得ているカラー。だからこそ限定でいいのでレッドを出したいと矢崎編集長から強く押された経緯もありました。その時点でなんとか2色を作ろうと大なたを振るうがごとく決まったのです。

ほぼこのパターンで進めている中、営業部門から要望が入ります。「外付けキーボードをAppleユーザーが使うことを考えているならなぜライトシルバーがないの? 新しいユーザーに使っていただきたいならライトシルバーは外せないと思います」と。Appleのキーボードは当然意識していましたが、このカラーは案に入れていませんでした。「従来のユーザーだけではなくAppleのユーザーにもUHキーボードの打鍵感の良さを感じてほしい」、そう社内プレゼンで説明していた割にこのカラーを避けていたのです。

理由はいくつかありました。「3色のキーボードを作ると売れ行きが分散され、開発費も高騰する」、「このカラーだとAppleユーザーにはマッチすると思うがそもそもAppleのユーザーが本当に買ってくれるのだろうか?」そんな弱気と堅実の間を行くような発想であったと思います。

しかし、営業はそんなことは関係なく、単に「売るならこうしたほうがいい」という市場の意見を思いっきり突っ込んできました。正直その時は半信半疑でしたが、結果としてはほぼ同数で購入希望が入っており、詳細の調査はできていませんが当然Appleユーザーの購入希望者もいることでしょう。

自社製品を広めていくためのプロジェクトであった今回の企画を進めていながら、作る側の都合を深く知ってしまい、いつしかお客様目線を忘れ、保守的に作り手側の都合で見ていたことに気づきました。

この営業の声を反映できたおかげでちゃんとしたものづくりができ、「すべてのユーザーに打ち心地のよいキーボードを提供する」が実現できるのではないかと思います。「ものづくりの脳」の考え方と「営業の脳」の考え方が一致して形になったプロジェクト。このスキームをきちんと形にできればきっとこれからももっと新しいものづくりにチャレンジできるのではないでしょうか。関わられた皆さんの総力戦だったと思います。お疲れさまでした、と言いたいですね。

営業から市場の意見を取り入れ、企画部門が商品化を検討し、事業部が設計をして、工場で生産を行う。ものづくりの一気通貫の中で広報の立ち位置は変幻自在です。どこにいてもその時の役目をしっかり担えるのが多能工たる広報のポジションでしょう。最終的にできあがったモノを世に発表することが広報業務としての第一義でありますが、人の仕事に思いっきり口を挟んでみるのもありなのかもしれません。

PC広報風雲伝連載一覧


秋山岳久

PC全盛期とバブル真っ只中からPC事業風雲急時代までPCメーカーで販売促進・広報と、一貫してメディア畑を歩むものの、2019年にそれまでとは全く異なるエンタテイメントの世界へと転身。「広報」と「音楽」と「アジア」をテーマに21世紀のマルコポーロ人生を満喫している。この3つのテーマ共通点は「人が全て」。夢は日本を広報する事。