広報にまつわる人との接し方を中心に、たくさんの失敗と格別な体験を時事ネタ交えつつお伝えしていく本連載。11回目となる今回はパソコンがコモディティ化されるすこし前の時代。拡がる商品群のPR活動での悩みを持ち始めた頃のお話です。


こんにちは。前回は、宝島社の特集記事に至るまでの経緯をお話させていただきました。編集者の努力の素晴らしさはもちろんですが、それを実現させるためには社内調整が大変、ということを実感した頃です。

そして時は2008年〜2010年。パソコン市場は安定し、徐々に数字を落としていく影を見ながらそれでも新しい技術に合わせて新商品がどんどん投入されていた時期でした。

フラットな意見に応えられないジレンマ

雑誌の編集者との会話は私にとってとても面白く、有意義な時間でした。そのぶん話が脱線する事も多く、記事掲載や編集部とのオリジナル商品開発などで経験値が増えてきたこともあり、行く先々で新たな「面白い話」を見つけようとしていたのです。

新商品のキャラバンも苦も無く各社編集部に向かいます。最近ではメーカーが本社にメディアの皆さんを招待して新商品の説明をしますが、私は当時から一貫して「訪問して説明を聞いていただくスタイル」。20社ほどある出版社に60編集部、今思うと本当に多くの雑誌があり、それぞれの編集者の所に伺っては商品説明をしていました。

編集者目線の方程式=「編集者が良いと思った商品は売れないかもしれないが売れるかもしれない」、しかし「編集者が良くないといった商品はほぼ売れない」

編集者と接している自分にはわかる方程式が生まれます。そうなると自身の気持ちもだんだん編集者寄りになります。メーカーの人間として「今度の商品どうですか?」と発表前のNDAで商品について編集者の感想を聞くことが私の主な仕事でもありました。

▲ワイヤレスでTVが鑑賞できる「ワイヤレスTVステーション」が付属した「FMV BIBLO NE12AT」

その時の傾向としては新しい技術を採用したり、新機能を搭載したり、思いっきりデザインを変えたりといった「尖った」商品を紹介するとだいたい編集者からは高い評価がいただけます。その反面、一番売れているA4サイズのノートPCは評価が低かったと思います。評価が低いというよりも当たり前すぎて編集者の心には刺さらなかったということなのでしょう。それでも売れているのは当たり前な商品で、それが会社としての稼ぎ頭なのは今も昔も変わりません。

一方で新しい機能を備えているにも関わらず全く受けない事もあります。そういった反応を社内にフィードバックすると、「そうか、それは確かにそうだね」と理解してくれる開発者もいれば、「いや仕様はもう替えられないし、他社と比較しても劣ってはいない」と聞く耳を持たない開発者もいます。

編集者の目線はいつもフラットであり、その商品を売らなければいけない義理もないので、本音で言ってくれていると思っている私は反発心を覚えます。「なんでこんなに良い意見を教えてくれているのにそれを受け入れないのか?」。とはいえ実際のところは、メディアに見せられるような時期になってからは商品の仕様変更はほとんどできません。それは社内では暗黙のルールでもありました。それがブレーキにもなり、編集者に言われたからといって一度決まったものを「今更」大幅に変更なんてできないのです。

せっかく貴重な話を聞いてきてもそれを社内に伝えるだけで終わってしまう事にストレスを感じていました。また、組織の壁も大きく、メディアからの情報を社内にフィードバックしたつもりでいても意思決定をする役員クラスには伝わっていない事があり、「外からの情報を社内に反映させる」役割が100%機能しているとは言えませんでした。

もちろんある程度はきちんと伝わっていますが、「商品化の本質」を突くような意見、特に否定的な意見は全くと言って社内の内圧に押し戻されて伝えることができていないのです。

それでも挑戦的な商品を次々に投入する事業部のパワーは凄まじく、商品をアピールする身としてはかなり助けられていました。37型の地デジ搭載大画面PCの「TXシリーズ」、水冷を採用したハイスペックノートPC「NWシリーズ」、ナノイーを搭載したデスクトップPC「FHシリーズ」、さらに「FHシリーズ」は3D表示まで対応。家電の機能がPCの世界に広がってきたことを感じさせられます。

誰もよりも早く新しい機能を採用する。パソコンの世界にない家電の機能を取り入れていく。画期的な商品は話題性が高く、市場を拡大するためにも重要な役割を果たします。ただ、その分、その機能にCPUパワーが追いつかなかったり、何かが少しづつ足りずに「犠牲」が出る部分があったりしました。特に価格にも大きく反映され、それは重要な売れないファクターでもありました。

新しい試みには100%完成形の商品とは言えないものもあり「もっとこうしないと使えないですよね」と開発者と話していると時折「次の商品には間に合うようにするから大丈夫」ということを言われます。編集者からも同じようなことを指摘されて、その答えが「次の商品には」では回答になりませんし、批判をされてしまうでしょう。そういった時の受け答えにはとても苦労しました。

ネガティブなことをポジティブな言葉で返す。これは訓練ですね。相当鍛えられたと思います。そして行き着いたのが、どんどん高機能化する時代「パソコンの買い時は必要になった時」。走り続けている列車のようにいつも前に進んでいる状況ですから、「乗りたいときに飛び乗る」しかないのです。

そう思い始めると気持ちも楽になりました。多少まだまだな所があってもそれはそれでかわいいわが子。自分の子を一番きれいに目立つように着飾らせることも広報の仕事。ちゃんと嫁ぎ先が決まるよう、長所を最大限に引き出してアピールを続けるのでした。

押しつぶされそうな社内交渉の壁の先にあった世界

ちょうどこの頃は携帯電話の市場にもまた大きな変化がありました。当時はNo.1ブランドではありませんでしたが、シニア向け携帯の「らくらくホン」が大ヒットし、そこに合わせて他の商品も一気に首位に立つなど携帯電話部隊は絶好調でした。

パソコン部隊とはお隣の部隊ですからその好調な流れもパソコンにということで投入されたのが「らくらくパソコン」。思いっきりシニアの使い方を研究してリリースされました。初めてパソコンを使う人でも簡単に使えるように、シニアでも安心して使えるように、通常のパソコンをこだわり抜いてカスタマイズした商品が出来上がります。

当然価格は高く、また独自仕様の機能を多く加えた事が仇となり、「普通のパソコンではない特殊で高価なパソコン」と位置付けられてしまうことに。しかし、開発者の思いは異なります。そこでこの気持ちをわかってくれる編集者を探すキャラバンを続けました。

その時に出会ったのが日経ビギナーズ編集部のT編集長でした。日経ブランドとのコラボレーションにはいろいろルールがあり中々簡単には進みません。広告料金を支払うタイアップならどこの編集部でも何の気兼ねもなく喜んでくれる話ですが、商品と共に一緒にシニア市場をサポートしましょう。という趣旨。そんな得にもならない話に乗ってくれる人は少なく、その頃はまだシニア市場自体が成長する前の時代でしたから媒体も限られていたのです。

ですが、T編集長はまるで自分事のように親身に取り組んでくださいました。何度も話すうちにシニアがパソコンを使うためにはそれを教えてくれる人がいないと駄目である、というところに辿り着きます。そして、子供や家族は案外冷たくパソコンの事を聞いても教えてくれない。それなら誰に聞こう。スクールの先生に聞こう。そういうスクールはあるのか? あるじゃないか!「わかるとできるパソコン教室」だ。という結論に行きつきました。

ただ、パソコンスクールがそんな特殊なパソコンの指導をしてくれるのかわかりません。それでも全国に300近い教室を持つ教室との連携ができれば、らくらくパソコンが世に出ていく気がしていました。ならば必ず連携しなければいけない。そこでパソコン教室向けのオリジナルモデルを作ることにしたのです。

またもやオリジナルモデルです。これはまた苦労しそうだなと心の中では思っていましたが、メーカーの都合だけでなく、相手様の事を考えれば一緒に組むには差別化が重要。その差別化を持って提案したいと思いました。

T編集長とシニアに最適な仕様を考えていきますが、元々自社内でその目的で考え尽くして投入した機種。こじつけで変えても意味がありません。その中でシニアに強い編集者ならではの意見をいくつかいただき、そしてパソコン教室へ。ここでも当然簡単には受け入れてもらえませんでした。説明をしてもメリットを簡単には感じてもらえません。メーカーとしてPCを売りたい、シニア市場を守りたい。そこまではメーカーと編集部の利害関係は一致していますが、特にPCを売るというところにメリットを全く感じてもらえなかったのです。

サポートや保守や販売手法など面倒なことが山積みで日々忙しくされているパソコン教室では扱いにくいものでした。それでも何とかするために総帥である社長を直接訪ねることに。和歌山からさらに1時間弱移動した場所に本拠地を構えていました。東京から丸一日。駅からタクシーで向かい、ビルの3階まで階段で上がり、さらに1階登ったところに社長はおられ、ご挨拶をさせていただきました。

真夏のむし暑い日、天国への階段を登ります。どういう結果になるかわかりませんが、まずは社長と直接話さない事には始まらないと思ったのです。そこから長い交渉が始まると思いました。しかし、お部屋に通してもらうとすぐに二つ返事で「是非ご一緒させてください」と快諾の答えをいただきました。「ここまで来てもらって断って帰すわけにはいかないでしょう」そうおっしゃっていただいたB先生の笑顔はまるで仏様のようでした。T編集長も私もその時の感動は忘れません。そこから帰りの車中、編集長と「パソコン教室だけのオリジナル機能はどうすればいいか」をずっと考えながら東京へ帰りました。

「絶対にB先生に喜んでもらいましょう!」二人は思いっきり燃えていました。そうして、らくらくパソコンの編集部オリジナルモデル、パソコン教室オリジナルモデルは店頭販売ルート以外のオリジナルモデルとしてメディアとの連携も含めて大きく展開します。また、京都に本拠地を持つHパソコンさんとも連携し、PC教室の大手二社との提携ができました。共にカリスマ先生を抱える教室であることが特長であったと思います。

ある時、教室の先生がおっしゃいました。「生徒さんが買うパソコンはどんなパソコンだと思いますか?」私が「うちですか? それかNECですかね」と答えると「いいえ、私がお勧めするパソコンが売れます」と言い放ちました。先生が教えるものが一番生徒さんの信頼を得る。この信頼という言葉にものすごく共感して、そんな先生を擁するこの2社のパソコン教室グループさんとはその後長いお付き合いをさせていただいたのです。

どうやら自分の仕事のスタイルはこれしかないと思うほどの達成感でした。それは社内に戻ると相談・調整・お願いの連続でした。「あいつは何をしに和歌山に行っているんだ」と思われたかもしれませんが、それは当時の上司が理解ある方で、かなり怖い人でしたがきちんと信頼を得ていたこともあり、何とかなったのです。その代り「必ず成果を出す事」。押しつぶされそうな社内交渉の壁のひとつ先には、編集者と協業パートナーとそしてパソコンを使うことで喜びを感じていただけるお客様の顔がダイレクトに見える世界でした。綱渡りですね。


そしてPC業界における横のつながりも大事になってきました。マイクロソフトがWDLCという業界をまたいだ団体を作ると共にメーカー同士の意思疎通が重要になっていきます。

メーカー同士の意思を市場に反映させるためには手を組まないにしてもコミュニケーションを取れる関係が重要です。そんな取り組みをしていこうと新しいプロジェクトを立ち上げます。そのお話は次回に。

PC広報風雲伝連載一覧


秋山岳久

PC全盛期とバブル真っ只中からPC事業風雲急時代までPCメーカーで販売促進・広報と、一貫してメディア畑を歩むものの、2019年にそれまでとは全く異なるエンタテイメントの世界へと転身。「広報」と「音楽」と「アジア」をテーマに21世紀のマルコポーロ人生を満喫している。この3つのテーマ共通点は「人が全て」。夢は日本を広報する事。齢55を超えても一歩ずつこの夢に向かい詰めている現在進行形。