FM TOWNSから「マーティー」まで、仕事の波状攻撃から学んだ大切なこと:PC広報風雲伝(第3回)

販売推進の真髄とは?

秋山岳久
秋山岳久
2020年07月23日, 午前 08:30 in pc-kouhou
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広報にまつわる人との接し方を中心に、たくさんの失敗と格別な体験を時事ネタ交えつつお伝えしていくこの連載。3回めとなる今回はFM TOWNSの発表後に押し寄せる仕事の波にまつわるお話です。それらは全て良い経験となりました。


こんにちは。前回はFM TOWNS発表後のエピソードをお話させていただきました。

発表を終え、様々な広告戦略を打ち出すこの頃、私の担当は全部。すべての仕事を経験として吸収していく時代でした。最軽量ノートPCや「FM TOWNS マーティ」の市場投入、そしてAT互換機の時代が迫ってきます。今日は今の自分の基礎が出来つつある時代の話をもう少しさせていだたきます。

イベントを継続するためのスキル

FM TOWNSはバージョンアップした新商品が次々と発表され、それに合わせてイベントも大都市から地方都市へと拡がっていくことになります。全国のショールームを巻き込んだFM TOWNSプラザイベント、そして販売推進部主体の全国電脳遊園地は週末に複数の場所で展開されていました。

当時のスケジュールを見るとだいたい木曜日の夜に現地入り、土日の本番を終え月曜日に撤収、帰社というスケジュール。そのため本社にいられるのは火曜日~木曜日のみです。その間にイベント企画やプロモーション企画を作らなければいけません。

この当時、「報告書速報」の重要さを学びました。電脳遊園地の事務局を担うのは全員女性のチームで、いわゆる総合職一期生の人たちを中心に構成されています。私は事務局の指示でFM TOWNSの展示やコーナーを担当していました。

彼女たちからパワフルさはもちろんですが、「どうきちんと仕事をするか」を勉強させてもらいました。イベントはどうしても出先での仕事になるため、報告などが怠りがちになります。

イベントが終わる日曜日の夕方に実施報告書速報の準備をし、搬出の間に本社及び関連各所へ実施報告書速報を送る作業をしていました。翌日の月曜朝に自分たちがまだ現地にいても会社の役員には実施報告が届くわけです。現場でのイベントがうまくいく事も大切ですが、そこに忙殺されず、きちんと報告して実施意義と価値を共有すること、さらには継続させてもらうようにすること、今思うと当たり前なのですが、そこまではまだ考えられなかった自分にとってはすべてが砂にしみ込むように良い経験だったのです。

このほか、開会初日は役員が来るのでちゃんとしたスーツで登場する女性陣を見てその気遣いとアピールをする姿勢を感じましたし、例えば、バレンタインデーにはチーム総出で深夜まで全国のお世話になった支社のキーマンにチョコレートを発送する気配りなんかも。「仕事と関係ないし、それは仕事じゃないんじゃないの」なんてハスに構える所でしたが、これも社内営業。実際に初めての開催地でイベントを行う時にはそのエリアの営業とのコミュニケーションは大事です。

その時点で「〇〇さんにはお世話になっています」と切り出し、現場の担当者の上役が会議に途中から参加して「〇〇さん、よく来てくれましたね。あなたたちが来てくれれば安心ですね、うちの担当もたすかりますよ」と一言添えてくれれば即席チームも一丸となって動けます。私が営業との会議で苦労してきたことをすでに解決してコミュニケーション力を高めているチームだからこそ、このような大規模イベントも運用できるのだなと感じました。

人はコミュニケーションが第一なのだ。指示するのではなく共に行う。巻き込む力を感じ、それこそが販売推進であると思い始めたのです。

新プロジェクト発足。チーム名は「PROJECT2000」

当時の社長が関沢さんに変わった頃、「新しい発想で組織の枠組みを外して若手だけで自由に企画実行させるプロジェクトに2000万円の予算を提供する。使い方は自由。提案を作りそれを役員に承認さえとれればいい」というプロジェクトが立ち上がりました。

今では良くあるボトムアップ話かもしれませんが、時は超縦社会の中、そんな部門を越えたプロジェクトは社長の鶴の一声がなければできない事。ここで私も運よくプロジェクトメンバーに選ばれました。社内的にFM TOWNSが注目の商品であったことから、そこに関わる人選がされたのだと思います。

販売推進部、店舗支援部、ショールーム推進部、宣伝部、システム部、営業部門。それそれからほぼ同じ年代の20代半ばのメンバーが選ばれ、最初にチーム名を付けました。そのチーム名は「PROJECT2000」。2000万円の予算という事もありましたが、2000年を迎えるときにこのプロジェクトの経験を活かして新しいビジネスを育てていきたいという思いもありました。部門の違いはあれど、FM TOWNSのプロモーションをやっている中で何度か接点があった人も多く、すんなりスタートして、その中で私は企画の責任者となりました。

「イベントをどこかの会場に集めて行うのではなくて人の集まるところにパソコンの活用スペースを作ってはどうか?」「パソコンがある生活を物語にし、PRする映像をCFではなく作品としてストーリー立てて制作すれば、大勢の人に見てもらうことができないか?」「パソコンとレジャーを組み合わせて新しい活用を提案できないか?」。これらの大きな項目を立てて具体的な案に落とし込みます。どこまでが仕事でどこまでがプライベートかわからないくらいこの仕事に埋没して考え、準備を行いました。

今のようにロジカルに進められるほどノウハウもなく、それを教えてくれる広告代理店がいるわけでもなく、経験豊かな上司がサポートしてくれるわけでもありません。すべて自分たちで考え、行動して成功と失敗を繰り返すことでそれが方程式になるわけで、困難を極めることばかりです。

そんな中、私たちは一つの案件に目を付けました。その頃、新橋の汐留操車場の跡地が再開発をされるという時期でした。新橋駅から徒歩3分程度のこの場所は魅力的で、そこにスキーバスの総合ステーションができるという事を聞いたので早速管理している会社に概要を聞きに行きます。当時はスキーブーム真っ只中、誰もかれもが冬にはスキーに行く時代でした。御茶ノ水のスキーショップは流行歌が流れ、高額なスキー板や色カラフルなウエアがばんばん売れていきます。バブルを象徴するような時代でした。そのブームに乗って旅行会社各社はスキーツアーを組み、学生たちはスキーバスを利用してゲレンデへと旅立つ。一大消費産業だったのです。消費額の大きさよりも「ブーム」という言葉に乗った、格好の宣伝の場であると感じたのでした。

私たちはスキーバスの総合ステーションでの困りごとはなんだろう? と考えます。スキーバスを待つ間の暇つぶし、当時はスマホもない時代ですので、雑誌を読むくらいしかない。そして、仲間が集まればスキー場の天気やコンディションが気になる、バスに乗ったら6時間程度の窮屈なバスの旅が始まる、ゲレンデの景色を夢見ながらも移動のバスは窮屈で退屈だ、このような若者の人気が集中していて、なおかつトレンドになっているスキーツアーに視点を合わせた困りごとの解決をFM TOWNSでやってしまおう。FM TOWNSを使ってスキーを快適に過ごす、そんなテーマで企画は進んでいきます。

そして、汐留スキーステーションのオープンに合わせて「スキー場ガイドマップ」とスキーに関しての簡単なゲームソフトを開発し、スキーステーションに設置、また著名スキー場と連携をしてパソコン通信による「リアルタイムゲレンデ情報」を提供しました。

リアルタイムと言っても今のように動画が見られるわけではなく、現地にパソコン通信で天気を聞いたり積雪量を確認したりする程度です。それでも当時は十分に斬新であり、お客さんも満足してくれました。スキーステーションは旅立ち前の若者で溢れかえり、派手な特設のパソコンオペレーションブースを設置して十分アピールする事ができました。また、スキーバスの中で刷り込み効果を狙うように、「スキーツアーで知り合う若者をパソコン通信でつないで恋が生まれる」というゲレンデラブストーリー動画を作成し、バスの車内で放送してもらいます。暇な時間、全員が見るしかない環境での映像を提供したのです。この動画も大晦日の夜遅くまで社内で撮影をしていて、「このまま会社で新年を迎えることになったらどうしよう……」などと考えていたことが懐かしく思えます。

そうして、さらにゲレンデでの「ラジオステーションジャック」で放送とイベントを連携させたり、某テレビ局のオールナイト〇〇との連携でオーディション企画を実施したり、2000万円という予算の中でできる限りのことを行いました。この予算でこれだけの量をこなせたのは全て自主企画であったからだと思います。
メディアへの露出は広告換算をすれば桁違いの成果があったと思いますが、まだメディア露出の効果測定がそうなされていなかった頃、数字よりも目に見える成果を求められる頃の話です。この仕事は自分のすべての時間を費やしても惜しくないほど集中できたし、ここで知り合った社内やイベント・プロモーションの様々な関係者がそれからの自分を支えてくれることになり、仕事に最も大切なのは生きた人脈であるということを感じ取ったのです。

毒ではないトゲを探す

電脳遊園地後には、起用していたキャラクターがそれまでの南野陽子からカケフくんに変わります。

個人向けパソコンということで「パソコンは簡単に楽しめるもの」を訴求したい時代。まだまだ計算機の延長線と捉えられがちなパソコンは市民権を得ていませんでした。

そこで思いっきりソフトなイメージを、ということでカケフくんにスポットが当たります。広告のラフ原稿には、にこやかなカケフくんのビジュアルとキャッチコピーの「みんなパソコンしたくなる」の文字。わかりやすくていいなと思っていましたが大上司の一言で揉め始めます。「この“したくなる”という表現はどうかな?」。別に? と思うのですが、法人企業が商売先の会社としては、もともとコンシューマー系の世界観とかけ離れています。宣伝部は法人企業のお客様の捉え方を気にしていて、広告表現でクレームを入れられることを望みません。結果として差し替えなどになれば多額の費用が発生してしまうからです。

当時宣伝は見る側での頭しかありませんでしたが、見てもらう側になった時の些細な点までのチェックなど本当に勉強になりました。自分にはその発想がなかったからです。たとえば、カタログに犬が出ていて「なんでこの犬は白いのかな?黒じゃだめなの?犬嫌いな人もいるよね」という禅問答に近い事もたくさん経験しました。「じゃあ、猫ならいいの?」と言いたいところですが、そこは仕事。気持ちを抑えて前向きに考えます。

すべての人に不快な思いをさせないという仕事はどんどん深みにはまり、結局すべてのトゲをカットしたものしか出来上がらなくなります。 それだと平凡な作品で引っかかりがない。すべてのトゲをカットしていながら刺激のある、人の気持ちに刺さる文言を考えることが仕事であり、代理店からの提案についても自分の好き嫌いで選ぶのではなく、そういった見地から行えるようにと教わりました。

時折、社内会議で屁理屈を言う宣伝部の担当者に不快な思いをさせられましたが、それも世に表現を出すものとしての務め。今をもって答えの出ない仕事ですが、「毒ではないトゲを探していく」事の大切さは永遠のテーマです。キャラクターはその後、宮沢りえ、観月ありさと当時の人気タレントを採用し続け、広告と商品PRは切っても切り離せないようになりました。

当時の社内は情熱の塊のような人ばかりで議論も延々と続きました。平日も休日もありません。会社が全てでした。仕事をする社員は20代が最も多く、若い分だけ、真剣な分だけ白熱します。今では考えられないですが「白熱しすぎて往復ビンタ事件(若い女子が上司の男子を往復ビンタ)」があったなど、物凄い一体感と連帯感があった頃です。今ではアウトなことが良かれと思われていた時代でした。

990g、乾電池で動くノートPC「FMR-CARD」登場

1992年、ビジネス機のRシリーズとして「FMR-CARD」を発表することになります。重さ990g、単3形アルカリ乾電池2本で8時間動くという思い切った仕様が売りの商品です。そしてこの商品は法人向けでもありました。100%コンシューマー以外の商品を扱うのはこの時が初。あまり自分の中でアイデアもない時期でした。

ビジネスコンシューマの概念も企業の人がどう感じるかも良くわかっていません。それでも1㎏を切るパソコンなんて考えられなかった時代です。990gをどう表現しようかとそこ一本に絞り込み軽さを表現するために「はかり器」のPOPなどを作ったりして視覚に訴える作業をしていました。今思うと当時から軽量化についてはこだわりがあった会社なのでしょう。

それは「パソコンは持ち運んでいつでもどこでも使えるようにしたい」という精神に他ならないと思います。そして今現在でも受け継がれているDNAなのです。「世界最軽量にこだわる」ということを40年近くやっているんですね。軽量化にこだわる事=パソコンが普及する事にはつながりません。ただ、軽量化にこだわるという事はそれを使うお客様に対してのメッセージであり、サポートです。その精神が全ての商品化につながることを考えれば「軽量化にこだわる」というのはお客様ファースト以外の何物でもありません。その積み重ねがこの頃から私の中にも刷り込まれてきたのです。

1993年、知育教育を全面に押し出したゲーム機「FM TOWNS マーティー」

代理店も変わりイメージキャラクターはワニ。FM TOWNSの姉妹商品として市場投入されたのが「FM TOWNS マーティー」です。FM TOWNS向けのゲーム機なんですが、社内としてはそれを嫌い、知育教育を全面に押し出してPRを行います。価格が10万円という設定だったのでゲーム機としては戦いにくい状況だったかもしれません。

知育をイメージしてもらうため「マーティチャンネル」という表現を採用、ソフト毎にチャンネルという設定を提案しました。しかし、新しい提案には時間とお金がかかります。情操教育の世界に食い込むために教育を強化し、「あんぱんまん」を活用して子供向けのイベントも展開し始めました。しかしその頃はゲーム戦争の真っただ中です。32ビットを駆使したソフトが出ることによりゲームソフトのビジュアルが大きく変化するとともにゲーム機のポジションが上がってきます。

当時の人気だったゲーム機「セガサターン」「PlayStation」と向き合うという非常にハードルの高い挑戦でした。国内では「セガサターン」が思いっきり売れていた時代。今となっては「PlayStation」の圧勝ですが当時はそうなるとは思いませんでした。マーティは価格も高い上、競合機が多い中苦戦が強いられます。

その当時のエピソードですが、当時はCFを担当していて、順調に撮影が進んでいたのですが、最後にCFに挿入するパソコンの操作画面を撮らなければいけなくなりました。まだ、出たばかりのゲームソフトを操作するのです。

撮影の前日、当時の課長と私はひたすらゲームを練習します。ゲームは迷路のように張り巡らされた血管の中を進むというゲーム。障害物やゲームパッドの動きが難しくなかなかうまくいきません。22時を回ったころ課長がゲームを練習する私の後ろに。いろいろそこだ、そこは左! 右! と口出だしを始めます。益々緊張してしまう私はまったくへたくそなゲームプレイヤー。イラつく上司は「だからお前はダメなんだ、俺に貸してみろ」とゲームパッドを取り上げてプレイし始めます。なぜかとてもゲームの上手い課長。この世界は奥が深いです。

自分の担当した商品を使いこなすという事がこんなに多岐に渡るとは思いませんでした。たかがゲーム、されどゲームです。そのあと深夜までひたすら練習を重ね、翌日の撮影では何度もNGを出しながら、なんとか収録できました。デモバージョンなどなく、いろいろなことを自分でやらなければ仕事にならなかった時代です。

さて、長くなったのでこの続きはまた次回に。

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秋山岳久

PC全盛期とバブル真っ只中からPC事業風雲急時代までPCメーカーで販売促進・広報と、一貫してメディア畑を歩むものの、2019年にそれまでとは全く異なるエンタテイメントの世界へと転身。「広報」と「音楽」と「アジア」をテーマに21世紀のマルコポーロ人生を満喫している。この3つのテーマ共通点は「人が全て」。夢は日本を広報する事。齢55を超えても一歩ずつこの夢に向かい詰めている現在進行形。

 
 

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